12.22.2015

B案残念

個人的には断然B案支持だったのだけれど落選は残念。
世界最先端レベルの技術の粋で実現した、コンクリートより丈夫な木材(集成材)の巨大な円柱。
それも表面だけの化粧板ではなく、実際に屋根を支える構造材として用いる。
これぞ唯一無二のオリジナリティ。聞いただけでわくわくする。どんなものか見に行きたくなる。巨大な木製の円柱が整然と並んだ非日常的な風景はさぞ荘厳な雰囲気を醸し出した事だろう。

比較するとA案は平凡。木材を多用といっても化粧板として用いるだけ、緑化壁面も現代ではありきたりな意匠。全体的な外観もなんだか巨大なショッピングモールのようでちっともわくわくしない。完成してもわざわざ見に行く気にはならない。
意匠だけではなく、観客席からの見易さやコストダウンの具体案などもB案が勝っていたように思うのだけれど。
あーつくづく残念。

12.16.2015

ファッショナブルでない家

S氏が螺旋階段を用いない主な理由はその低い実用性。
その通り、螺旋階段はあまり実用的でない。少なくとも昨今「省スペース」を名目に小さな家に導入されるコンパクトな螺旋階段はソファも大型洗濯機も通せないし、内径の小ささがもたらす強引な回転運動と中心に向かって急激に狭くなる踏み板は住人にとっても決して快適なものではない。逆にそのような問題をクリアした螺旋階段は普通の直通階段より大きなスペースを必要とするし、であれば直通階段の方が余程使い勝手が良い。
大きなビル建築でも非常階段以外にはあまり採用されない螺旋階段をスペースに余裕があるわけでもない住宅にわざわざ採用する理由は何となく洒落て見えるからか、このごろ流行りの女の子ディテールは施主の受けがいいからか。実際、どれだけ床面積が小さかろうと間口の幅が狭かろうと何とかの一つ覚えのように螺旋階段を放り込む建築家も実際にいたりする。

自分の意見を言えば、長期に渡る耐久諸費材である家でファッション=流行を意識するのはあまり好ましくない。なぜなら流行はほどなく廃れるもので、廃れた流行ほど古臭く見えるものはないからだ※1。流行が流行でなくスタンダードとして残る可能性も勿論あるが、現在の流行がそうなるかどうかは誰にも分からない。その点で時の洗礼を経ていない流行に安易に手を出すのはリスキーだ。
我が家を例に挙げれば、施主が今時の流行の実用性の欠如を気に入らない事もあって全くファッショナブルではない。すなわちスキップフロアも螺旋階段もなく外壁はワントーンで、窓にはいちいち庇をつけ壁と床の間にはきちんと幅木が走っている(これをひっくり返すと今時の流行のディテールが一揃い)。サイズを除けば普通すぎるくらい普通でこれみよがしに洒落ている要素は一切ないのだが、余計な色がついた家は欲しくなかったので(色は自分がつけるのだ)それでよかった。というか、それ「が」よかった。実際に上記のディテールが提案されたら悉く却下しただろうなあ


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※1 80年代あたりに当時の流行のスタイルで作られたビルの、今目線で見た時のダサさったらない。新橋駅近辺を少し歩けば幾らでも目に入るその手のビルはスタンダードなスタイルのビルより(築年は新しくても)遥かに古臭く見えてしまう

12.12.2015

なんと?

なんと5坪!とかあまり驚愕されると「なんと7.5坪!」の住人としては面映いというか、そんなに驚愕するほどの事か?と鼻白むというか。
しかしこの事例で言えば、家具調度類が一切ない状態で「狭さを感じません」とか言われても説得力はあまりない。そりゃ空っぽの部屋は広く見えるに決まってるし。
どうやっても狭いものは狭い。どんな手品を用いたって5坪が10坪に見える筈はなく、少しでも広く感じさせるには住人の不断の努力は不可欠。すなわちモノを持たない増やさない。そういう潔い暮らしぶりとあわせて紹介して初めて説得力のある事例になる。

しかし所謂狭小住宅の定番となっているスキップフロア、この事例でも採用されているが、これは本当に有効なのか。床に何も置かない生活ならばともかく実際にはテーブルやらソファやら机やら椅子やら大小さまざまなモノが置かれるわけで、ただでさえ狭い床をさらに細切れにしたところで寧ろ狭っ苦しさが強調されるだけだと思うのだけれど。

12.01.2015

まるい光、尖った光

ていうか自民党はパナソニックから幾ら献金されてるんだ?笑

白熱電球や蛍光灯の製造禁止、そんな余計な事をしなくても求められなくなれば自然と消える。
カセットテープやビデオテープ、フロッピーディスクがいつの間にか姿を消したように淘汰される。市場経済とはそういうもの。
というか、この大きなお世話な政策を立案した連中は照明はただ明るければそれでよしとでも思っているのだろうか。野暮天とはこういう手合いを指す。

我が家の階段を照らすエジソン球。実は照明を追加した当初は電球型LEDを灯す予定だった。
それもただのLEDではない、「ダサいLEDは終わりにしよう」を謳って登場したSiphonというプレミアムLED電球。LED電球の常識を超え、フィラメントを持つ白熱電球に限りなく似せたLEDとしてキックスターターで資金を募集している時に先行投資して入手したものだ。
クリアガラスの向こうにフィラメントのように細長いLEDが延びているこの美しいLED電球を階段上にぶら下げ、期待とともにスイッチを入れる。

あ、ダメだと思って一分で外し、エジソン球に付け替えた。

誤解を招かぬように書いておくと、Siphonがダメな訳ではない。ダメどころかものすごくよく出来ているし、およそこの世にあるLED電球の中で最も白熱電球に近い電球である事は疑いの余地がない。
しかし放つ光が決定的に違う。形状が白熱電球そっくりであるだけに余計違いが際立つ。LEDの光はエッジが立っている。直線的で、尖っている。
曇りガラスの電球ならばそのエッジも緩和されたのだろうが、LEDの見事な造形を見せる為にクリアガラスを用いたSiphonからは階段を下りる目を切りつけるように真っ直ぐな光が放たれる。白熱電球ぽい光にする為にガラスを黄色く着色した程度で中和されるものではない。白熱電球のふわっとまるい光には程遠い直線的な光は目にあまり優しくないし、醸し出す雰囲気も白熱電球に及ばない。比べれば明々白々。

白熱電球そっくりなSiphonが却って白熱電球の良さを再確認させる事になったのだから皮肉なもの。折角買ったSiphonは勿体無いからロフト梯子脇の照明として使用しているが。

11.24.2015

Paint it Black(光接続ボックス編)

「昔はいい人だったのにねえ」という形容がぴったりなUQWimaxのサービス劣化、というか詐欺まがい広告で消費者を誑かすという阿漕な商売ぶりはついに集団訴訟沙汰にまで発展。自分の目から見てもあの広告はアウトかセーフかでいったら紛れもなくアウトじゃね?
ていうかあと二年もたったらつなぎ放題プランそのものを強制終了って乱暴すぎじゃね?
という訳で、同社とは入居以来の付き合いである我が家もついにプロバイダ変更を決意。

久方ぶりに我が家に固定回線(光)を引いたらこれが実に快適。Wimaxと六年ばかり付き合って分かったのはやはりモバイルルータはメイン回線には向かないという事で、接続感度も速度も天候に左右されるほど不安定で予期せぬ不通も珍しくないなんていう通信を毎日使っていると結構フラストレーションが溜まるものなのだ。回線の良し悪しは速度よりもフィジビリティ。

とはいえ光回線を引き込むにあたって壁に穴を穿たなくてはいけないなら不安定なモバイル通信を我慢していたほうがましなのだが、その必要はなく電話回線から引き込みが出来るとの事で一安心。しかし回線のために壁に孔を穿つ必要はないとはいえ、外壁に筆箱サイズの接続ボックスを取り付けることは避けられない。比較的目立たない場所に取り付けて貰ったまではよかったが、この接続ボックスのOA機器的ベージュ色がダークグレーの外壁に全く合っていない。外観の統一感を損なう、と言うほど目立つ訳ではないというか、正直言ってこんなものを気にする人はいないだろうが、他ならぬ家主の自分が気になるのだから仕方ない。仕方ないったら仕方ない。

よく見れば外壁のダークグレーと全くマッチしていない色が一つ。何だアレは!
ズームするとその正体は光ケーブル接続器。やっぱり浮いている

しょうがないなあのび太くんは。という訳で壁に梯子を掛け、

伸縮式梯子はちゃんとしたメーカー品を買いましょう。命掛かってるし

本体カバーを取り外すと、




久しぶりに登場のアイアン塗料をべったりぽってりと塗りつける。


ムラになっても気にしない。ていうかムラが合った方が鉄っぽい風味でよろしい


乾くのを待って再び取り付ければあら素敵、
忍者のように外壁に溶け込む目立たない接続ボックスに様変わり。




同じく屋外にあるエアコン室外機やガス湯沸かし器なんかも同種のベージュ色で、本当はこれらも同様に塗ってしまいたいところだがちょっと大きすぎて無理かな。
何年経っても手を入れる場所はあるもの。しかし飽きないね家いじりは



11.03.2015

おなじみの建売三兄弟

我が家の並びにある大きな古家が取り壊されて更地になってから二年余。
まずは更地を一括で売りに出し、買い手がつかないので三分割して売りに出し、
それでも売れないのでとうとう最後の手段として家とセットで売りに出すべく建売住宅を建築中。
残念ながらいかにもありがちな、三棟とも判で押したように同じ外観。基礎の形も同じ=間取りも同じなら屋根の角度も同じ、ドアの位置も同じで窓の数まで同じ。建売三兄弟。
そしてこれもありがちな、敷地に目一杯(恐らく建蔽率ギリギリ)家を建てて隣との隙間は数十cmしかないという。一戸当たり三十坪も※1土地がありながら、コンセプトはその半分以下の土地に建てるミニ戸建売となんら変わりない。
元の土地の値段からして完成した暁には相当の収入がある層※2にしか手が届かない値付けの高級建売として売りに出されるのは確実だろうに、建売とはいえ年収ピラミッドのてっぺん付近の人間に向けて売る家をどうして下町の激安ミニ戸建売と同じ発想と仕様で建ててしまうのか、全く理解に苦しむ。
確かにそういう建て方をすれば床面積は稼げる。延床面積は我が家の四倍は下るまい。しかし激安建売との値段の差が地価と床面積の差だけで「手間の差」が一切ないというのもいかにも貧しい発想ではないか。高いのに貧しいとはこれいかに。それともこの家をさくっと購入してレクサスなんかカーポートに置いちゃう小金持ち(偏見)程度ならそういうのは気にならないのか。自分なら嫌だなあ。あ、小金持ちじゃありません小銭持ちです

しかしこの建売三兄弟、毎日通勤で目の前を通るので工事の進捗がつぶさに見て取れるが、基礎の鉄筋密度は明らかに我が家のそれより低かった。広さではボロ負けでも基礎の頑丈さでは勝ったぜ…ふふふ
しかしツーバイは工事が早いね

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※1 「ハァー三十坪なんてオラん家の納屋より狭いべっちゃ」と笑うドがつく田舎にお住まいの貴兄、この辺の三十坪はド田舎の山の一つ二つ売ったくらいでは手に入りませんぜ
※2 収入が低くても相続財産を含む親の支援というチートアイテムがあるなら話は別。ていうか一般リーマンが家を買うとなったら親の経済的支援を受けるのが普通なのか?周囲に聞く限りでは大なり小なり殆どがそのようだ…二世帯住宅なんて半分以上出して貰うのが当たり前みたいな感じで

10.24.2015

ウッドデッキ木材考

我が家のウッドデッキは地上7mという特殊な環境に設置する事になる為、デッキ素材は熟慮する必要がある。
まず耐久性が高く腐りにくい素材であることは絶対条件。平地に設置したウッドデッキが腐って底が抜けたり柵が倒れたりしても笑い話で済むが、地上7mでは洒落にならない。

腐りに強いのは天然木ではウリンやイペ、次いでセランガンバツ。国産では檜にヒバ。ヒバは風呂椅子に使われるくらいだから湿気に強いのは折り紙つき。ただし檜もヒバも軟らかいので屋外の床材にはやや不適。
最近増えている人工木材も腐りに強い、というか木ではないから腐らない。工業規格品だからサイズは揃っていて反りもなく、施工性も抜群で扱いやすい。勿論風合いは本物の木材に敵わないが、本物の木材で発生するような割れやささくれとも無縁。木材と互角に近い価格のものもある。いいんじゃないか。いやいやダメ、ゼッタイ

人工木材の何がダメか。
だってあれって樹脂に木粉を混合して固めたものでしょう。
要するにプラでしょう。
プラは紫外線に弱いでしょう。光劣化するでしょう。
腐らない代わりに割れるでしょう。折れるでしょう。
プラの物干しハンガーがある日突然ぽっきり折れるように、樹脂のデッキもある日突然逝ってしまうでしょう。危ないでしょう。
プラは予兆もなく割れる。木材の劣化は目に見えるのに対し、カタストロフの直前まで平気そうな顔をしているのがプラ。その点で高所のウッドデッキ材としては致命的。腐りやすいホワイトウッドよりもさらに不適。

そうすると残るのはやっぱりウリンかイペ。硬すぎて施工性は最悪らしいが、うーん、そこはそれ、がんばれがんばれ(適当)

10.12.2015

六年ぶりの作戦会議

カフェK2にてS氏と打ち合わせ。打ち合わせという形で対面するのは実に六年ぶり
何の打ち合わせか。それは…

コーヒーを飲みつつ鯛焼きを齧りつつ図面に書き込む器用なS氏


10.08.2015

柵倒る

家が出来る前、空き地だった頃から設置されていた古い柵
とうとう崩壊が始まる。



三分の一ほど柵がなくなり、残る柵もガタガタ
そろそろやり直そうかと思っていた矢先の以心伝心、魚心あれば水心。

足元注意


10.01.2015

スーパームーンの肖像

中秋の名月

の翌日。

生憎の雲量9の東京の夜空で常に雲がかかっているスーパームーン
ニッコール300mmズーム × Df × へたくそな腕前
で、挑んだらこうなった

左上に雲かかる

翌日は雲も少なく今度はクリアな月を捉える事が出来たものの、残念ながら少し欠けてしまっている。しかしそのせいでクレーターの陰影もはっきりとより立体的、これはこれでまあいいか

右下から欠けはじめ

しかし天体の撮影は面白くない。被写体はいつまでも姿を変えないし遠すぎるのでアングルを変えようもない。数回シャッターを押したらもうお終い、三脚をしまう方が余程時間が掛かるという。まあ記念ということで

9.24.2015

下町小散歩(高田馬場)

バイクのアイドリングがどうも安定しないので修理に出す。
下落合にあるショップにバイクを預けると、帰りはバス停まで高田馬場の小路をぶらぶらと歩く。


夕暮れの神田川

道すがら銭湯を見つけたり、


 西の空に半月が浮かんでいるのを見つけたり


ちんたらちんたら二十分ばかり歩いて出た商店街にゴールのバス停


何もない平穏な初秋の一日。


9.23.2015

東北GT(6)米沢未着で完

次の目的地の上杉神社と上杉家廟所がある米沢へは遠野から約270km。高速道を乗り継いで約4時間の道程だが、東京からむつまでを一日で走破した身には最早どうという事のない距離。一気に走り抜いて…走り抜く筈が思わぬところで頓挫。
東北道を走る事二時間余り、仙台を過ぎた辺りで走行車線の数台を追い越し車線から一気に抜いた瞬間に排気音が劇的に変化、
ボボボボボボバリバリバリバリバリバリバリバリ
と思いもかけずバリバリ伝説。慌てて最寄のPAに飛び込んでボンネットを開くと、あーあ。


熱と振動に耐え切れなくなったのだろう、エンジンから40cm程のところで四本の排気管を後続に繋ぎ止めているスプリングが全て弾け飛び、四本とも見事に外れて直管仕様。
こうなっても当面走る事そのものには差し支えないのだが、何せ直管なものでそりゃあもううるさいわ臭いわ、サーキットか暴走族の集会でしか聞けないような爆音で乗り込んで米沢の町をお騒がせするのは本意ではないので、この時点で東北グランドツーリング終了を決断。

耳をつんざく反社会的な爆音を響かせながら帰路に着く姿も普段自分が蔑みの目で見ている中年暴走族そのもので恥ずかしいやら情けないやら、出来るものなら半紙に

無罪 故障

と墨痕も鮮やかにしたためて車体の前後左右に貼り付けたい。人は悲しみが多いほど人には優しく出来るとどこかのロン毛のおっさんが歌っていたが、ということは彼の人生にはあまり悲しみはなかったのであろうが、まあそれは置いておいて、これに懲りて今後街で爆音を響かせている車を見ても「けっ」と言う前に「ああ、あれはもしかして故障なのかも…」という目で見るようにしようと思えたのが今回の過酷な旅路の収穫。何だろうなこの結論は

9.18.2015

東北GT(5)遠野2



バケツをひっくり返したような大雨に見舞われたのは呼ばれ石の祟りか、翌朝になっても雨の勢いは衰えず。
この日の宿の駐車場が屋根つきであったのは全くの偶然だが思わぬ僥倖。後付のハードトップは上から横から容易に雨が浸入するので、青空駐車であったなら一晩で水没してしまうところだった。

早朝に宿を引き払うと、大雨の中を残りの見どころを廻る。

雨の卯子酉様


どうやらここが天神様の森の入口

今でも年に一度子供達が奉納に来るらしいが怖いだろこの細道

細道を抜けると鳥居、その奥に小ぢんまりとした天神様の祠

思い切りガスってる遠野の里

古参道の鳥居


土砂降りで川のようになっている道をざぶざぶと水しぶきを上げながら走り回り、一通り見て廻ると昼前には遠野を出立。一路南下し米沢へ向かう。

9.15.2015

作業メモ:タオルバー交換(四年ぶり二度目)

同素材のマイナスねじがよく似合う。ただし普通のドライバーでは留められない位置関係

新任の三代目タオルバーは先に着任した二代目トイレットペーパーホルダーとのコーデを意識し、同じ素材に同じようなエッジの効いた形状を選択。
尤もこれはビンテージ物ではない新品なので色合いに深みがない。ピカピカ過ぎて浮いている。
コーティングの施されていない表面がこれから徐々に酸化して彩度の低い渋い色合いに変わっていくのが今後のお楽しみ。


9.13.2015

東北GT(4)遠野1

カミ(神ではない)の存在は信じていても妖怪は御伽噺の中だけの存在と決めつける人が多いのはなぜだろう。天狗が山のカミでもあると同時に妖怪でもあるように、また河童が妖怪であると同時に川のカミでもあるように、突き詰めて考えればいずれも超自然的な力を持つ両者の違いはよく分からない。光があれば影が出来るようにこの二つは表裏の存在であり、本来善も悪もない昆虫を人間の都合で益虫だの害虫だの決め付けるように人間の都合で畏れ祀ればカミ、恐れ忌避すれば妖怪となるのに過ぎないのかもしれない。であればやはり、神社に参拝する信心があるのに妖怪の存在を一笑に付すのはおかしいという事になる。
とはいえ、個人的には妖怪はもういないのだろうと思う。誰もその存在を信じなくなったからだ…



ハンドルを握りながら目的地に因んだテーマで取りとめもなく考えを巡らせば、蒸し風呂のような車内でも少しは気分が盛り上がる。
平泉から北東へ180kmばかり走れば遠野。



遠野物語の舞台として知られる遠野市には日本の原風景が残されていると言われているが、とはいえ日本には昔から漁村もあれば都もある。しかし昔の日本は農業国であり今も昔も国土は山だらけであることを思えば山間の農村の原風景≒日本の原風景であるには違いない。







まずは河童が棲んでいたという伝説の残る河童淵へ。
改心した河童が化身したという世にも珍しい河童狛犬はすぐ傍にある





あのー、僕の頭にあるのは皿なんで。賽銭箱じゃないんで。小銭入れるのやめてもらっていいすか


未だ現役で使われている山口の水車小屋。
この小屋の中には決して足を踏み入れてはならない、足を踏み入れた者には必ずや災いが起こると言われている。

言われているというか、言っている。その伝説の発祥は他でもない自分。
どのような災いかといえば、具体的には蜂に刺される。その凶暴さたるや、足を踏み入れた途端に襲われて五秒で三箇所も刺されたのだから恐ろしい。災いのおこる山口の水車小屋、ゆめゆめ忘るべからず

扉が開いたままなのは閉める間もなく転がり出るように逃げ出したから

遠野市は東京23区より広く、しかも見どころはあちらこちらに点在しているので、見て廻るのに車は欠かせない。
看板が出ているわけでもないのでナビも欠かせない。しかし多くはナビに登録されているわけでもないので何となくあたりをつけて移動しては近辺を探し回る作業を繰り返す。
予備知識なく訪れる遠野はただの田舎。
現在まで残る旧跡を、それに纏わる伝説と重ね合わせて見てこそ面白い。



田んぼの真ん中にぽつねんとあるのがフォトジェニックな荒神神社。タイソンもびっくりの耳噛み伝説

老母を背負った男のレリーフが取り付けられた欄干の橋を渡るとデンデラ野。
ここはいわゆる姥捨て山で、六十歳になった年寄りはこの野原に捨てるという風習があったという。捨てられたとはいえすぐ死ぬわけでもないので昼は里に下りて来て農作業を手伝い、報酬として僅かばかりの食物を貰ってはこの野に戻る。デンデラ野に捨てられた年寄りはそうして身を寄せ合いながらひっそりと命が尽きるのを待ったという。また一旦捨てられたら例え姿を見かけても存在しないものとして扱われたというからなかなかにきつい話だが、現代の物差しで当時を測ってはいけないというのが歴史を見る際のお約束。栄養状態のいい現代でこそ六十歳はまだまだ若いといえるが昔日の六十歳は名実ともに立派な年寄り、生産年齢から外れ食い扶持を減らすだけの存在は捨ててしまわなければ共倒れになりかねないというのが貧しい農村の実態でもあったのだろう。

野生動物のように過酷な運命を抗いもせず従容として受け入れた昔の遠野人はすごいと思ったが、昔の日本には現代のような移動の自由はなく生まれ育った村が世界の全て、しかも共同体に属さなくては生きていけない時代※1でもあった訳で、考えてみれば受け入れる他選択の余地はない。現代に生まれて良かった


デンデラ野




車がびゅんびゅん行き交う幹線道路脇にある大きな岩は通称呼ばれ石といい、農作業中に遠くから呼びかける声を真似て声を発したり呼びかけに勝手に返事をしたりという悪戯で村人を悩ませたが、村人に頼まれた猟師が猟銃で一発撃ち込んだら大人しくなったという曰くのある岩。九条教信者が聞いたら目を剥きそうな解決手段がいかす

殆ど歩道もない曲がりくねった山道沿いなので見る際は車に注意

今も残るというその弾痕を探そうと岩に取り付いて見たもののそれらしい痕は見当たらず、そうこうしてる内にバケツをひっくり返したような土砂降りに見舞われたので本日はこれまで。

呼ばれ石に呼ばれたまま一向に帰ってこない主を呆れ顔で待つ車


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※1 機械化されておらず家造りも子育ても作物作りも村人同士で助け合わなければ何一つ遂行できない時代の「村八分」は現代では想像できない程重いペナルティであり、殆ど死刑宣告に近い


9.05.2015

東北GT(3)平泉


秋田から再び太平洋側へ280kmほど走れば平泉。岩手は高速道や新幹線でスルーしたことはあっても足を踏み入れるのはこれが初。

平泉といえば奥州藤原氏三代プラス1の亡骸が安置されている金色堂。
金色堂を擁する中尊寺の開山は850年で祖は慈覚大師…円仁?この人恐山も開山してたよな。今から1000年以上も前にろくに街道も整備されていない奥州を徒歩で廻って、言葉が通じるかも怪しい現地人を教化してあちらこちらで開山をプロデュース。尋常でないバイタリティっていうかほぼ超人の域。その労苦を思えば35度の炎天下をエアコンのない車で走るくらい大した事ではない…嘘です大した事ですすみません



薬師堂

多くのお堂を擁する広大な境内の一番奥に金色堂は位置する。藤原清衡、基衡、秀衡の三代の亡骸と四代目泰衡の首が安置されている金色堂は建坪五坪程度の小ぢんまりとしたお堂だが、床下の柱まで張り込まれた64000枚もの金箔、柱や天井27000箇所に施された螺鈿※1、さらに海外から取り寄せた紫檀やアフリカゾウの(!)象牙だのが各部に惜しみなく使用され、同じ金張りという事でよく同列に挙げられる鹿苑寺金閣に比較してサイズこそ小さいが仕様の凝り様は遥かに上を行く。当時の人々にしてみれば宇宙船が出現したような衝撃であったろう。日本の他に国がある事もあまり分からない時代の人にとってのアフリカゾウの象牙など、今の我々にしてみれば金星の石みたいなもの。想像の枠を超えている。
12世紀にこれだけのものを、しかも日本を統べる将軍でもない一地方領主が作ってしまう。尋常でない財力と海外とのネットワークを持っていたであろう事は想像に難くない。貧富の差どころの騒ぎじゃない。

そんな栄華を誇った藤原氏も四代目がちょっと残念な御方だったため敢無く滅亡、伴って中尊寺も悉く灰燼に帰するわけだが、頼朝の軍勢もさすがに金色堂だけは手をつけなかったお陰でこの国宝第一号も現代まで無事に遺された。幕府軍がパルミラを爆破したイスイス団のようなキチガイ集団じゃなくて良かったねと

現覆堂
鉄筋コンクリートの覆堂(カバードーム)が出来る前に金色堂を風雨から守っていた覆堂は現覆堂の更に奥に移設されて保存されている。鎌倉時代に作られた旧覆堂もまた文化財指定

旧覆堂
旧覆堂内部

中尊寺の境内には白山神社もあり、併設されている現在でも偶に使用されるという茅葺きの能楽殿が見事。そして横で見ていたカップルの、見た目はごく普通の男の方の発言
「能?ってさー。今でも、まだ、あるの?
に驚愕。




35度の眺め。角度じゃなくて気温。
この辺は33度くらいかなー(しつこい)

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※1 普通は箱や茶入れなど小物にちんまりと施される細工であって、建築物に使いまくるなんて前代未聞。なんという贅沢