1.25.2017

噂の超豪邸

同じ区の中に少し前から売りに出されているこのスーパー大豪邸
歩いていくには遠いが自転車ならそう時間もかからない場所に立つこのお家、そのお値段は

47おく5せんまんえん!

むりむりむりむりかたつむり。例えタダで譲ってもらっても維持できない。
固定資産税だけで年収何年分だこれは。
仮に固定資産税の問題がクリアできたとしても余暇は全て家の掃除と手入れで終わってしまう。家を維持するためだけの人生だ。

いやーいろんな意味で羨ましくないわこれは。
それに…建て替え前の広い庭と数寄屋造りの和風住宅の方が余程魅力的に映る。

何で壊しちゃったのかなあ。勿体ない

1.24.2017

一つ屋根の下で

他人と住むなら、何より求められるのは協調する意思。
時には個を抑えて全体の意思決定に従うことも求められる。
全体より己のエゴを優先させる住民が次々と出てくると、行き着く先はぞっとするようなバッドエンド。

自分が大金を叩いて手に入れた住まいの行方を自分で決められず、運を天に任せるしかない理不尽。
戸建ては戸建てで苦労はあって、何より全てを己の器量で何とかしなければならないという厳しさはあるけれど、自分の家であればそれは当然のこと。集合住宅と戸建てはどちらも一長一短あるが、やはり自分には戸建てが向いているとつくづく思った冬の夜。



1.22.2017

おろしや国一週間(3)12月11日 赤の広場でクレープを食べる

一夜明けて小雪舞う曇りのモスクワ。とりあえずは赤の広場へ

マヤコフスキーと北京ホテル、遠方にクレムリン
今の子供たちは知らないかもしれないが、我々団塊ジュニア世代が子供の頃に世界は西側諸国=資本主義国と東側諸国=共産主義国の二つに分かれていて、西と東は互いを明確に敵とみなして陰に日向に争っていた。
ソビエト連邦はその東側諸国をイデオロギーと暴力で支配して秘密警察で国民を抑圧し、隙あらば我々西側諸国に謀略をしかける何だか分からないけどやたらと恐ろしいラスボスのイメージが強烈にあって、赤の広場とクレムリンはそのラスボスの象徴だったのだが、それもソ連が崩壊しロシアとなって四半世紀も経った今となってはなんだかノスタルジックな思い出。ソ連が崩壊する形で冷戦が終結したのはいいことなのだろうが、能天気の誹りを恐れず言えばロシアよりソ連の方が我々にとってはロマンがあったね。
ということで、自分にとってモスクワといえば赤の広場。

地下鉄では緑の2番線Маяковскаяマヤコフスカヤ駅から二駅目のТеатральнаяテアトラルナヤ駅で下車、連結通路から赤の1番線Охотный рядアホートニュイ・リャド駅の出口から国立博物館脇に出る。

アホートニュイ・リャド駅

①アホートニュイ・リャド駅を出るとすぐ国立博物館
とりあえずクレムリンをぐるりと回ってみる。

ボロヴィツカヤ広場付近の謎の巨像
クレムフスカヤ通りを東へ進む
③てくてくてくてく
④てくてくてくてく
➄橋の手前を左に折れて進むと赤の広場が見えてきた
⑥聖ワシリイ寺院とはゲーセンのテトリス以来のご対面
聖ワシリイ寺院入口はなぜか警官が陣取っていて人を寄せ付けない。
改修でもしているのか何か分からないが、英語を一言も理解しないロシアの警官※1とコミュニケーションを取るのはほぼ不可能なので仕方なくその場を離れる。

➆クラスナヤ広場付近のイリンカ通りからモスクワ川方面を望む
モスクワ最大の百貨店グムに面した赤の広場には屋台や遊具が並べられお祭りのように賑やか。
かつての恐怖のソ連の象徴も今となってはかくも平和に。

屋台を冷かしながらうろうろしている内に早くも日が暮れる。
冬のモスクワは16時にもなるともう宵の口

⑧右手にモスクワ最大の百貨店グム。この地でこの建物で120年以上前から営業している老舗でもある



サーモンのクレープ350ルーブル、キャビアのクレープ390ルーブル

でも買ったのはベリーのクレープ。はいケチです。紙コップにもグムの字が

マイナス10度程度では全然元気なモスクワ人。たぶん身体のつくりが違う

⑧夕暮れ空のグラデーションがやたらと綺麗なのは寒空のせいか

⑩一周して国立博物館へ戻った

⑩とっぷり暮れた赤の広場。これ撮るのに三脚使ったがあまり効果なし


本日のうろつきポイント一覧。サイズ的には皇居一周くらい?


_______
※1 ロシアの警官はロシア語を話せない人間を全く相手にしないので、モスクワで何か犯罪被害にあったら諦めるか日本大使館に駆けこむほか手はないとのこと。おそらく正しい。

1.16.2017

おじさん進化論

Ⓒところてん氏


最近ツボに嵌まったのがおじさん進化図に関する一連のツイート

面白い。ぐうの音も出ないほど面白い。
そうかー自分は自転車おじさんでバイクおじさんで一眼おじさんかー。派手に枝分かれしてヒドラのようだ。ヒドラおじさん。もしかして近々ボルダリングおじさんにも分岐するかもな
しかしいずれもそこから先には進化しそうもないな。あと蕎麦打ちとか陶芸とかそっち方面には進化しないんだなきっと笑

良くできている樹状図だが、家づくりブロガーとしては是非一つ枝を加えたい。

若者→DIYおじさん→家づくりおじさん 

の系統を。
S氏のクライアントにはどういう訳かこの進化系統に属するおじさんが多い。
なぜかは知らんが

1.09.2017

おろしや国一週間(2)12月10日 シェレメチエボ空港からモスクワ市内へ

成田空港を夕方に出発したアエロフロート便は10時間後にモスクワ郊外のシェレメチエボ空港に到着。9時間で着くヘルシンキに次いでモスクワは二番目に日本に近い欧州であったりする。時差は6時間。

大韓航空、パキスタン航空と並び格安御三家として知られるアエロフロート、そしてアエロフロートといえばシェレメチエボ空港。パッカーに馴染み深いこの空港はこれまでに乗り換えで何度となく利用したものの、入国ゲートをくぐるのはさすがに今回が初めて。

日本からの北回り欧州便が現地に到着するのはほぼ夜になるので、初日のホテルだけは出発前に押さえておくのが吉。この日のモスクワ到着も22時で外気温はマイナス10度。ホテルへ直行する他にすることはない。

いつもは横目に見ていた入国口へ初めて並ぶ

中日ドラゴンズでなくてディナモモスクワのオフィシャルシップが空港内に。UEFAファン必見

おおよそ先進国に分類される国の首都であればほぼ例外なく電車かバスによる空港から都心へのダイレクトアクセスが整備されているので、余程大荷物を抱えているのでもない限りべらぼうに高いタクシーを使う必要などない。
果たしてシェレメチエボ空港にも市内直結の特急「アエロエクスプレス」が乗り入れていて、旅行者はこれかあるいは空港外に停留場がある乗合バスで市内にアクセス、そこから地下鉄に乗り換えてホテルへ向かうのが一般的なルート。
最も安上がりなのは乗合バスだが、少なくとも一時間以上かかる上に到着地は郊外の地下鉄終点駅近辺であることを考えると、およそ40分程度で都心の緑のメトロ二番線ベラルースカヤ駅に直結しているベラルースキー駅までノンストップのアエロエクスプレスを利用するのが最も便利。乗り合いバスに比べれば随分高いがそれでも一般席で420ルーブル。当時のレートはやや円安で1ルーブル=2.3円程度だったが、それでも千円にも満たない。

どの空港でも到着ロビーを歩けばタクシーはどうだと声をかけてくる輩がいる※1が、連中は例外なく白タクなので相手にしてはいけない。正規のタクシーならタクシー乗り場に車を停めれば客の方からやって来るから客引きなどする必要はなく、タクシー乗り場で客待ちできないモグリ連中だからわざわざ客引きをしているのだ。客引きについていってはいけないのは歌舞伎町に限らない。いきつくところはどちらも同じぼったくりだ。
(白タクに限らず、わざわざ向こうから近寄って来る人間には必ず何か下心があると考えていい。まともな人間は見知らぬ外国人に構っているほど暇ではない※2

はたしてここでも藪蚊のように寄って来る白タク運ちゃんズをニェットニェットと追い払いつつ早足で到着ロビーを抜け、天井から下がっている案内板に従って都心への特急乗り場へ急ぐ。


Train to Moscowの表記に従って進む。英語表記の有難さはこの後で身に沁みて分かる
巨大マトリョーシカ
の裏は土産屋。店番のお姉さんやる気なし

英語表記のスタバを右に曲がればすぐアエロエクスプレスの改札。奥に見える赤いのが自動券売機
アエロエクスプレスの車内。欧州の長距離列車は漏れなく新幹線に勝る。理由はのちほど

ロシアにしてはやたら清潔で快適なアエロエクスプレスはほどなくしてベラスースキー駅に到着し、小雪の舞うホームを抜けてべラルースカヤ駅を探す。

「地下鉄入口の目印はMマーク」という予備知識は仕入れていたもののどこを見てもそれらしきマークが見当たらない。乗り換え口の案内板もないこの不親切さはいかにもロシア。ここで早くも乗り換えに迷うが、メトロ入口をさがして駅の外をうろうろしているとこの寒空に昏睡している酔っ払いを発見。ロシアは酔っ払いもおそろしや

べラルースキー駅前。本当はメトロに乗り換えるのに外に出る必要はない

酔っ払いもしくは死体。放置して何やらしゃべくってる警官もおそろしや

結局、アエロエクスプレスのホームを出てすぐ左側にある不愛想な木のドアがメトロ入り口であることが分かった。頼むから国際空港直結の特急から乗り換えるメトロの入り口くらい英語で書いといてくれ。分からん

ホームを出て見える正面が駅出口でメトロ入口は左手。MマークはどうしたMマークは

モスクワ地下鉄はアエロエクスプレスの新しさに比べやたらと年季が入って古めかしいが、驚くのはその運行本数。東京メトロなら7、8分に一本がせいぜいの土曜日の深夜という時間帯にもかかわらず、3分とおかず次から次へとやってくる。ラッシュアワーの山手線並。何だかすごいぞモスクワのインフラ

モスクワ名物、異常に長いエスカレータ
ベラルースカヤ駅ホーム。使い古したリモワのスーツケースのような地下鉄車両

深夜の寒空にスーツケースを抱えてホテル探しに右往左往という事態は避けたかったので、とにかく地下鉄駅から近く見つけやすい事を第一に選んだ結果、予約したのは二番線マヤコフスカヤ駅にほど近い北京ホテル。スターリンが北京でソ中友好条約か何か結んだ記念すべき年にオープンしたのがその名の由来とのこと。
予約サイトで見る限りではスターリン様式で非常に目立って見えたこの北京ホテル、果たしてマヤコフスカヤ駅を出るといきなり真正面にそびえ立っていて受ける。こりゃ迷いようがないわ


video

出入り口ドアを開けて左手にどどんと北京ホテル
右手にどどんとクリスマスツリー
駅名の由来の詩人マヤコフスキーの像。実は芸術先進国のロシア、詩人の地位は日本のそれより遥かに高い

スターリン時代の建物だけあってさすがに建物や設備の古さは否めない北京ホテルだがパッカー上がりには十二分に快適。外資の大型ホテルに比べれば値段も随分とリーズナブルで空港からのアクセスも極めて良好、初めてのモスクワの宿としては当たり。


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※1 北京の白タク運ちゃんズは「ホイッチ!ホテー!」と連呼。Which hotel?を意味するものと思われる
※2 経験上唯一の例外はシリア。道を探してうろうろしていると通りがかりがどうした何を探しているのかと声をかけてきて、こちらがアラビア語を解さないと分かると英語が話せそうな人間を探して連れてくる。そして何の報酬も求めない。かの国ではこんなことを何度も経験したが、これは例外中の例外。同じアラブでも外国人と見れば金を巻き上げることしか考えていないモロッコのような国もある。こういう観光客ずれしきった国では人々との触れ合いなど期待するだけ無駄



1.08.2017

階段を白くする理由

意識的に一階は白基調で色数を少なくするようにしているが、今回はその一環として階段を白で塗装することとした。清楚でおぼこい雰囲気を漂わす白木の階段をいきなり大胆に塗ってしまうのは流石に躊躇するが、我が家の階段は既に家主によって踏板を久米蔵色で塗られている他、よく見れば傷やら汚れやら7年の月日を伺わせる年季の入ったいわば熟女。お色直しにさほど抵抗はない。
塗るのは踏板でなくそれを支える側桁。これを白く塗ることで一階の白基調を強調するとともに階段自体の存在感を弱めるのが狙い。
階段は基本的にデッドスペースであり、デザイン上のハイライトとなるような凝った造形、またはLWH003のように家の中でシンボリックな位置づけにあるなら別だが、我が家のような何の変哲もない直階段の存在感などないに越したことはない。またその方が部屋もより広く感じられるのではないだろうか。集成材なので木目を塗りつぶしてしまう勿体なさもない。

というわけで12月の週末を使って工事。事前のマスキングと事後のマスク漏れの後始末に意外に手間を取ったものの、塗装作業それ自体は簡単な部類。


色はアトムハウスペイントの水性グレーホワイト。この色につや消し色の設定はないので、仕上げにつや消しのニスを塗っててかりを抑える。

現在の我が家の巾木や窓枠に使用されている色はミルキーホワイト(画像右側に少し見えている色)。追加塗りは既存の色に合わせるのが原則なので一度目の塗りには同じミルキーホワイトを用いてみたものの、ホワイトの中でも自己主張が強いこの色は漆喰の白壁に溶け込まず浮き上がってしまう。漆喰のホワイトは鉱物である消石灰の色なので元々無機的でクールなホワイトであり、黄色みの強い有機的なホワイトであるミルキーホワイトとの相性は決して良くはない。やってみて初めてわかるこの誤算。
またこのミルキーホワイトは踏み板の濃茶と組み合わせるとややカントリーな雰囲気が出てしまうことが分かった。別にカントリー調は目指してないのでこれも誤算。巾木や窓枠といった小面積に塗られる限りではそれほど目立たなかったミルキーホワイトの違和感が、階段の側桁のような大面積に塗られて一気に前面に出てきてしまった格好だ。

考えた末に二度塗り目は思い切ってグレーホワイトに変えてみたところ、これが大正解。クールで陰のあるこのホワイトは漆喰の白と馴染みがよく、踏板の濃茶とも実によく合う。
気を良くして階段横の窓枠もグレーホワイトにしてみたが、やはりミルキーホワイトの窓枠より背後の漆喰によく馴染む。明るい色の床に合わせるならミルキーホワイトが合うかもしれないが、濃色の床や漆喰に合わせるなら断然グレーホワイトだ。
出来れば現在ミルキーホワイトで塗られている巾木や窓枠をすべてグレーホワイトで再塗装したいところだが、面倒くさいので多分やらない。

工事が終わってみれば一応は目論見通り、白く塗られた側桁は白い壁に溶け込むことで存在感が後退し、上り下りする度に足元が何となく広くなったようにも感じられる。
素人仕事のクオリティはご愛敬で近寄ってみれば粗は目立つものの、遠目や暗がりなら…まあいいかこれで。

2016年の家づくりはこれにて終了。2017年も計画だけはいろいろと。


1.07.2017

バックパッカーからフラッシュパッカーへ

バックパックこそ背負っていなかった(当時はショルダーバッグメイン)ものの、若い頃の旅のスタイルはほぼバックパッカーのそれに等しかった。
費用節約の為に夜行列車を多用(もちろん三等)し、移動は出来るだけ徒歩。交通機関に複数の選択肢があれば躊躇なく最安なのを選択。宿は予約せず現地に到着してから安い部屋を探す。基本は町はずれにあるユースホステルかドミトリー、そこで得た情報をもとにまた動く。パン齧って水飲んで、距離を競うようにとにかく移動する。我ながらよくやったものだ。

そのような典型的な貧乏旅行スタイルも今は昔、ネット普及の恩恵で、今時はバックパッカーであってもそのスタイルは随分とスマートになっている。
まず宿は足でなくネットで探す。航空券はもちろん、長距離列車も長距離バスもチケットはネットでおさえる。ガイドブックは持たず、必要な情報は随時ネットから引き出して最短距離で移動。必ずしも安さのみを追求するのでなく、時間を節約するのに金は惜しまない。
このようにネットワークを駆使して動き回る旅行者を近年ではフラッシュパッカーというらしい(フラッシュとは掌で光るスマホを指すのだろう)。であるならば例外なくスマホを手にしている今時のパッカーは皆それだ。

年を取ってショルダーバッグがスーツケースになり、三等寝台が二等ときどき一等寝台になり、郊外のユースが都心のホテルになるなど自分の旅のスタイルも随分変わってきたが、一番変わったのはやはり旅そのものの組み立て方。
明日の行き先は前日の晩にネットで情報を集めて決める。ホテルの部屋もその時におさえる。列車や航空券のチケットもネットから予約する。こうするためにかつては「PCつき」の条件でヒットするホテルを渡り歩いていたが、誰もがスマホを持つ今となってはそれを売りにするホテルもなくなった。代わりに当たり前のようにWiFiを飛ばしている。その点でも随分と便利な時代になった。

実際、ネットの普及がどれだけ旅行者を自由にしフットワークを軽くしたか分からない。我々はどこにいても必要な時に必要な情報をその場で引き出し、その場で好きなように組み合わせて旅を続けることができる。そこがいわゆる観光地でないところであっても興味を持てばその場で情報を調べ、行き方を検索して実際に行ってみることができる。スマホがあればもはやガイドブックすら必要ない。

そう考えるとパック旅行のメリットって今やほぼないのではないだろうか。楽といえば楽かもしれないが…
そうか楽か。なるほど。楽がメリットか。なるほどそれは確かに。