12.22.2015

B案残念

個人的には断然B案支持だったのだけれど落選は残念。
世界最先端レベルの技術の粋で実現した、コンクリートより丈夫な木材(集成材)の巨大な円柱。
それも表面だけの化粧板ではなく、実際に屋根を支える構造材として用いる。
これぞ唯一無二のオリジナリティ。聞いただけでわくわくする。どんなものか見に行きたくなる。巨大な木製の円柱が整然と並んだ非日常的な風景はさぞ荘厳な雰囲気を醸し出した事だろう。

比較するとA案は平凡。木材を多用といっても化粧板として用いるだけ、緑化壁面も現代ではありきたりな意匠。全体的な外観もなんだか巨大なショッピングモールのようでちっともわくわくしない。完成してもわざわざ見に行く気にはならない。
意匠だけではなく、観客席からの見易さやコストダウンの具体案などもB案が勝っていたように思うのだけれど。
あーつくづく残念。

12.16.2015

ファッショナブルでない家

S氏が螺旋階段を用いない主な理由はその低い実用性。
その通り、螺旋階段はあまり実用的でない。少なくとも昨今「省スペース」を名目に小さな家に導入されるコンパクトな螺旋階段はソファも大型洗濯機も通せないし、内径の小ささがもたらす強引な回転運動と中心に向かって急激に狭くなる踏み板は住人にとっても決して快適なものではない。逆にそのような問題をクリアした螺旋階段は普通の直通階段より大きなスペースを必要とするし、であれば直通階段の方が余程使い勝手が良い。
大きなビル建築でも非常階段以外にはあまり採用されない螺旋階段をスペースに余裕があるわけでもない住宅にわざわざ採用する理由は何となく洒落て見えるからか、このごろ流行りの女の子ディテールは施主の受けがいいからか。実際、どれだけ床面積が小さかろうと間口の幅が狭かろうと何とかの一つ覚えのように螺旋階段を放り込む建築家も実際にいたりする。

自分の意見を言えば、長期に渡る耐久諸費材である家でファッション=流行を意識するのはあまり好ましくない。なぜなら流行はほどなく廃れるもので、廃れた流行ほど古臭く見えるものはないからだ※1。流行が流行でなくスタンダードとして残る可能性も勿論あるが、現在の流行がそうなるかどうかは誰にも分からない。その点で時の洗礼を経ていない流行に安易に手を出すのはリスキーだ。
我が家を例に挙げれば、施主が今時の流行の実用性の欠如を気に入らない事もあって全くファッショナブルではない。すなわちスキップフロアも螺旋階段もなく外壁はワントーンで、窓にはいちいち庇をつけ壁と床の間にはきちんと幅木が走っている(これをひっくり返すと今時の流行のディテールが一揃い)。サイズを除けば普通すぎるくらい普通でこれみよがしに洒落ている要素は一切ないのだが、余計な色がついた家は欲しくなかったので(色は自分がつけるのだ)それでよかった。というか、それ「が」よかった。実際に上記のディテールが提案されたら悉く却下しただろうなあ


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※1 80年代あたりに当時の流行のスタイルで作られたビルの、今目線で見た時のダサさったらない。新橋駅近辺を少し歩けば幾らでも目に入るその手のビルはスタンダードなスタイルのビルより(築年は新しくても)遥かに古臭く見えてしまう

12.12.2015

なんと?

なんと5坪!とかあまり驚愕されると「なんと7.5坪!」の住人としては面映いというか、そんなに驚愕するほどの事か?と鼻白むというか。
しかしこの事例で言えば、家具調度類が一切ない状態で「狭さを感じません」とか言われても説得力はあまりない。そりゃ空っぽの部屋は広く見えるに決まってるし。
どうやっても狭いものは狭い。どんな手品を用いたって5坪が10坪に見える筈はなく、少しでも広く感じさせるには住人の不断の努力は不可欠。すなわちモノを持たない増やさない。そういう潔い暮らしぶりとあわせて紹介して初めて説得力のある事例になる。

しかし所謂狭小住宅の定番となっているスキップフロア、この事例でも採用されているが、これは本当に有効なのか。床に何も置かない生活ならばともかく実際にはテーブルやらソファやら机やら椅子やら大小さまざまなモノが置かれるわけで、ただでさえ狭い床をさらに細切れにしたところで寧ろ狭っ苦しさが強調されるだけだと思うのだけれど。

12.01.2015

まるい光、尖った光

ていうか自民党はパナソニックから幾ら献金されてるんだ?笑

白熱電球や蛍光灯の製造禁止、そんな余計な事をしなくても求められなくなれば自然と消える。
カセットテープやビデオテープ、フロッピーディスクがいつの間にか姿を消したように淘汰される。市場経済とはそういうもの。
というか、この大きなお世話な政策を立案した連中は照明はただ明るければそれでよしとでも思っているのだろうか。野暮天とはこういう手合いを指す。

我が家の階段を照らすエジソン球。実は照明を追加した当初は電球型LEDを灯す予定だった。
それもただのLEDではない、「ダサいLEDは終わりにしよう」を謳って登場したSiphonというプレミアムLED電球。LED電球の常識を超え、フィラメントを持つ白熱電球に限りなく似せたLEDとしてキックスターターで資金を募集している時に先行投資して入手したものだ。
クリアガラスの向こうにフィラメントのように細長いLEDが延びているこの美しいLED電球を階段上にぶら下げ、期待とともにスイッチを入れる。

あ、ダメだと思って一分で外し、エジソン球に付け替えた。

誤解を招かぬように書いておくと、Siphonがダメな訳ではない。ダメどころかものすごくよく出来ているし、およそこの世にあるLED電球の中で最も白熱電球に近い電球である事は疑いの余地がない。
しかし放つ光が決定的に違う。形状が白熱電球そっくりであるだけに余計違いが際立つ。LEDの光はエッジが立っている。直線的で、尖っている。
曇りガラスの電球ならばそのエッジも緩和されたのだろうが、LEDの見事な造形を見せる為にクリアガラスを用いたSiphonからは階段を下りる目を切りつけるように真っ直ぐな光が放たれる。白熱電球ぽい光にする為にガラスを黄色く着色した程度で中和されるものではない。白熱電球のふわっとまるい光には程遠い直線的な光は目にあまり優しくないし、醸し出す雰囲気も白熱電球に及ばない。比べれば明々白々。

白熱電球そっくりなSiphonが却って白熱電球の良さを再確認させる事になったのだから皮肉なもの。折角買ったSiphonは勿体無いからロフト梯子脇の照明として使用しているが。