9.13.2015

東北GT(4)遠野1

カミ(神ではない)の存在は信じていても妖怪は御伽噺の中だけの存在と決めつける人が多いのはなぜだろう。天狗が山のカミでもあると同時に妖怪でもあるように、また河童が妖怪であると同時に川のカミでもあるように、突き詰めて考えればいずれも超自然的な力を持つ両者の違いはよく分からない。光があれば影が出来るようにこの二つは表裏の存在であり、本来善も悪もない昆虫を人間の都合で益虫だの害虫だの決め付けるように人間の都合で畏れ祀ればカミ、恐れ忌避すれば妖怪となるのに過ぎないのかもしれない。であればやはり、神社に参拝する信心があるのに妖怪の存在を一笑に付すのはおかしいという事になる。
とはいえ、個人的には妖怪はもういないのだろうと思う。誰もその存在を信じなくなったからだ…



ハンドルを握りながら目的地に因んだテーマで取りとめもなく考えを巡らせば、蒸し風呂のような車内でも少しは気分が盛り上がる。
平泉から北東へ180kmばかり走れば遠野。



遠野物語の舞台として知られる遠野市には日本の原風景が残されていると言われているが、とはいえ日本には昔から漁村もあれば都もある。しかし昔の日本は農業国であり今も昔も国土は山だらけであることを思えば山間の農村の原風景≒日本の原風景であるには違いない。







まずは河童が棲んでいたという伝説の残る河童淵へ。
改心した河童が化身したという世にも珍しい河童狛犬はすぐ傍にある





あのー、僕の頭にあるのは皿なんで。賽銭箱じゃないんで。小銭入れるのやめてもらっていいすか


未だ現役で使われている山口の水車小屋。
この小屋の中には決して足を踏み入れてはならない、足を踏み入れた者には必ずや災いが起こると言われている。

言われているというか、言っている。その伝説の発祥は他でもない自分。
どのような災いかといえば、具体的には蜂に刺される。その凶暴さたるや、足を踏み入れた途端に襲われて五秒で三箇所も刺されたのだから恐ろしい。災いのおこる山口の水車小屋、ゆめゆめ忘るべからず

扉が開いたままなのは閉める間もなく転がり出るように逃げ出したから

遠野市は東京23区より広く、しかも見どころはあちらこちらに点在しているので、見て廻るのに車は欠かせない。
看板が出ているわけでもないのでナビも欠かせない。しかし多くはナビに登録されているわけでもないので何となくあたりをつけて移動しては近辺を探し回る作業を繰り返す。
予備知識なく訪れる遠野はただの田舎。
現在まで残る旧跡を、それに纏わる伝説と重ね合わせて見てこそ面白い。



田んぼの真ん中にぽつねんとあるのがフォトジェニックな荒神神社。タイソンもびっくりの耳噛み伝説

老母を背負った男のレリーフが取り付けられた欄干の橋を渡るとデンデラ野。
ここはいわゆる姥捨て山で、六十歳になった年寄りはこの野原に捨てるという風習があったという。捨てられたとはいえすぐ死ぬわけでもないので昼は里に下りて来て農作業を手伝い、報酬として僅かばかりの食物を貰ってはこの野に戻る。デンデラ野に捨てられた年寄りはそうして身を寄せ合いながらひっそりと命が尽きるのを待ったという。また一旦捨てられたら例え姿を見かけても存在しないものとして扱われたというからなかなかにきつい話だが、現代の物差しで当時を測ってはいけないというのが歴史を見る際のお約束。栄養状態のいい現代でこそ六十歳はまだまだ若いといえるが昔日の六十歳は名実ともに立派な年寄り、生産年齢から外れ食い扶持を減らすだけの存在は捨ててしまわなければ共倒れになりかねないというのが貧しい農村の実態でもあったのだろう。

野生動物のように過酷な運命を抗いもせず従容として受け入れた昔の遠野人はすごいと思ったが、昔の日本には現代のような移動の自由はなく生まれ育った村が世界の全て、しかも共同体に属さなくては生きていけない時代※1でもあった訳で、考えてみれば受け入れる他選択の余地はない。現代に生まれて良かった


デンデラ野




車がびゅんびゅん行き交う幹線道路脇にある大きな岩は通称呼ばれ石といい、農作業中に遠くから呼びかける声を真似て声を発したり呼びかけに勝手に返事をしたりという悪戯で村人を悩ませたが、村人に頼まれた猟師が猟銃で一発撃ち込んだら大人しくなったという曰くのある岩。九条教信者が聞いたら目を剥きそうな解決手段がいかす

殆ど歩道もない曲がりくねった山道沿いなので見る際は車に注意

今も残るというその弾痕を探そうと岩に取り付いて見たもののそれらしい痕は見当たらず、そうこうしてる内にバケツをひっくり返したような土砂降りに見舞われたので本日はこれまで。

呼ばれ石に呼ばれたまま一向に帰ってこない主を呆れ顔で待つ車


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※1 機械化されておらず家造りも子育ても作物作りも村人同士で助け合わなければ何一つ遂行できない時代の「村八分」は現代では想像できない程重いペナルティであり、殆ど死刑宣告に近い


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