9.05.2015

東北GT(3)平泉


秋田から再び太平洋側へ280kmほど走れば平泉。岩手は高速道や新幹線でスルーしたことはあっても足を踏み入れるのはこれが初。

平泉といえば奥州藤原氏三代プラス1の亡骸が安置されている金色堂。
金色堂を擁する中尊寺の開山は850年で祖は慈覚大師…円仁?この人恐山も開山してたよな。今から1000年以上も前にろくに街道も整備されていない奥州を徒歩で廻って、言葉が通じるかも怪しい現地人を教化してあちらこちらで開山をプロデュース。尋常でないバイタリティっていうかほぼ超人の域。その労苦を思えば35度の炎天下をエアコンのない車で走るくらい大した事ではない…嘘です大した事ですすみません



薬師堂

多くのお堂を擁する広大な境内の一番奥に金色堂は位置する。藤原清衡、基衡、秀衡の三代の亡骸と四代目泰衡の首が安置されている金色堂は建坪五坪程度の小ぢんまりとしたお堂だが、床下の柱まで張り込まれた64000枚もの金箔、柱や天井27000箇所に施された螺鈿※1、さらに海外から取り寄せた紫檀やアフリカゾウの(!)象牙だのが各部に惜しみなく使用され、同じ金張りという事でよく同列に挙げられる鹿苑寺金閣に比較してサイズこそ小さいが仕様の凝り様は遥かに上を行く。当時の人々にしてみれば宇宙船が出現したような衝撃であったろう。日本の他に国がある事もあまり分からない時代の人にとってのアフリカゾウの象牙など、今の我々にしてみれば金星の石みたいなもの。想像の枠を超えている。
12世紀にこれだけのものを、しかも日本を統べる将軍でもない一地方領主が作ってしまう。尋常でない財力と海外とのネットワークを持っていたであろう事は想像に難くない。貧富の差どころの騒ぎじゃない。

そんな栄華を誇った藤原氏も四代目がちょっと残念な御方だったため敢無く滅亡、伴って中尊寺も悉く灰燼に帰するわけだが、頼朝の軍勢もさすがに金色堂だけは手をつけなかったお陰でこの国宝第一号も現代まで無事に遺された。幕府軍がパルミラを爆破したイスイス団のようなキチガイ集団じゃなくて良かったねと

現覆堂
鉄筋コンクリートの覆堂(カバードーム)が出来る前に金色堂を風雨から守っていた覆堂は現覆堂の更に奥に移設されて保存されている。鎌倉時代に作られた旧覆堂もまた文化財指定

旧覆堂
旧覆堂内部

中尊寺の境内には白山神社もあり、併設されている現在でも偶に使用されるという茅葺きの能楽殿が見事。そして横で見ていたカップルの、見た目はごく普通の男の方の発言
「能?ってさー。今でも、まだ、あるの?
に驚愕。




35度の眺め。角度じゃなくて気温。
この辺は33度くらいかなー(しつこい)

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※1 普通は箱や茶入れなど小物にちんまりと施される細工であって、建築物に使いまくるなんて前代未聞。なんという贅沢

2 件のコメント:

  1. 驚愕に爆笑・・・ (  Д ) ゚ ゚ とか、顔文字入れてほしかった(笑)^^

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    1. 見た目はごく普通の男の子だったんですが…

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