2.12.2017

おろしや国一週間(4)12月12日 仮想通貨でお昼を食べよう

前置き

そもそも仮想通貨とは何かという話は長くなるので置いておくが、仮想通貨の既存通貨に対するプラクティカルな優位性は大雑把に言って
1管理運用コストが格安 2両替不要(広義で前項に含まれる) 3送金タイムラグなし
あたりに集約される。
1・2・3いずれも金融機関を中心とした法人の決済手段としてのメリットが大きく、運用でなく実用の決済手段としてはCtoCの需要の方がより高いだろう。
我が国における普及率は米国などの仮想通貨先進国に比べればまだまだ低いが、それでも昨年から一部国内業者で電気代やガス代を仮想通貨で支払えるようになったり、今秋を目途にMUFGが対円固定レート(1円=1MUFGコイン)の仮想通貨を自ら発行することを目指している報道があったりダイムラーベンツが仮想通貨サービス会社を買収したりなど、グローバル規模で徐々に盛り上がりつつあるのは確か。名門財閥たる三菱がこの手の話に他に先駆けて足を突っ込むのは意外で、確かに固定レートの仮想通貨なんて面白くも何ともないのだが、為替商品としての魅力を捨てても固定レートの安定を取った三菱に自前の仮想通貨普及にかける本気を見る思いがする。
マウントゴックス事件で露呈したように国が価値を保証しない仮想通貨の最大のウィークポイントは信用性の低さ、だが日本のGDPの10%を占める天下の三菱グループがケツを持つ、しかも固定レート保障となったら採用に踏み切る企業は多いのではないだろうか。

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以上前置き終わり。

仕事で仮想通貨の導入を検討していることもあり、勉強半分興味半分で少し前から仮想通貨を所持しているが、これは使用の為というより外貨運用の変わり種としてであって実際に使用したことは未だない。今回の旅で初めてこれを使ってみるというミッションを自らに課した。
ただ単に仮想通貨を使ってみたいだけなら東京都内で使える店は幾つもある。だが見知らぬ外国で使ってみる方がより面白い。面白いことが好きな自分は出発前にふと思いついたこのアイデアに熱中し、この件については珍しく入念に下調べを行った。

インターネットは便利なもので、探してみると「仮想通貨が使える店のマップ」なるものがちゃんと存在する。それによればモスクワにはほとんど仮想通貨が使える店がなく、唯一使える飲食店が都心から20㎞ほど離れた郊外ドルゴプルドニという町にあるサブウェイ。
モスクワに対するドルゴプルドニは、東京に対する本八幡とか市川とか武蔵小杉とかその辺の位置関係。観光地でも何でもないただの郊外の住宅地を訪ねて行ってみるのも面白そうじゃないか。ということでモスクワ最後の日の半日を費やしてわざわざ何の変哲もない郊外のサブウェイを探す旅に出る変な東洋人。


北京ホテルをチェックアウトするとまずは地下鉄コムソモルスカヤ駅へ行き、地上へ出ると目の前には今晩の出発駅であるレニングラーツキー駅。駅の地下は荷物預かり所になっていて、不愛想な駅員に370ルーブルだかを払うと指示された番号のロッカーまでスーツケースを運ぶ。有人なのにセルフかよ

レニングラード駅前

と、レニングラーツキー駅。北へ向かう長距離列車はここから発着
北へのターミナル駅なのでさすがに荷物チェックは厳重
人気のない地下


地下のコーヒー自販機。うーんマズい

地下の廊下に設置してある自販機に50ルーブル硬貨を入れると、検尿カップのようなちっこいプラカップに全然美味しくないインスタントコーヒーが出てくる。どこでもこんなもんで、逆に言えばコーヒー好きにとって日本は天国。100円でそこそこおいしい挽きたてコーヒーが飲める国なんて他にない。いや本当に。

レニングラーツキー駅を出てまたコムソモルスカヤ駅から地下鉄を乗り継いで地上駅サヴェロフスキー駅にたどり着いた。ここから郊外線に乗り換えてドルゴプルドナヤ駅で降りれば目指すサブウェイに着く筈だ。


観光客には縁がないであろう、何の変哲もないローカル線サヴェロフスキー駅

電車キター。ロフニヤって何だ?

着いた!と思ったら手前の駅。このあと一時間弱次の電車待ち

ロシア語のアナウンスは当然分からず、ここかと思って降りてみた駅は目指すドルゴプルドニ駅の二つばかり前の駅。無人駅で一時間ばかり寒風に吹かれ、ようやくやってきた次の列車に乗り込む。

(やっと来た次の列車)



ローカル線のチケットはレジのレシートより小さく薄っぺらい紙切れで思わず捨ててしまいそうになるが、地下鉄のような同一料金ではないので当然ながら捨ててはいけない。降りるときはホームのポストにこのQRコードを読ませる必要があるのだ。



ローカル線の降りかた in Russia

やっと、という感でドルゴプルドニに到着すると、観光地でも何でもない何の変哲もない町の何の変哲もない街並を北風に吹かれながら15分ばかり歩く。
今この時にこの小さな町でよそ者は恐らく自分しかいない。
それを感じる瞬間もまた旅の醍醐味。

駅の横の道から

踏切を越えて

南へ向かう通りをひたすら歩くと
やっとサブウェイに到着。寒すぎてピンボケ 
マイナス10度との温度差にiPhoneのレンズも曇る


やっとのことでたどり着いたサブウェイを前に思わず胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。それは空腹が過ぎて逆流した胃液だ。
さあさっさと食べてミッションを完遂しよう。
店内に入ると適当にサンドイッチを頼み、レジへ歩みを進める。

ここだ。さあ言え。
かじかんだ口で何度となく練習した、あのセリフを言え言うんだジョー。

"Буду платить Bitcoin" (ブードゥ プラチーチ ビットコイン)

怪訝そうな顔の店員。大事なことなので二度繰り返す。通じたか。
通じたらしい。
関わらず店員の表情はさらに曇り、何ごとか言葉を返してくる。
あ、嫌な予感。
ロシア語の意味は分からないが、何かこちらにとって望ましくないことを伝えようとしていることだけは分かる。
目の前の客にロシア語が通じないと察した店員が奥に引っ込むと、事情を聴いたらしいマネージャーらしき男性が代わりに出てくる。

彼はこの国に来て初めて話をした英語話者。
さすがマネージャー、話せるぜ(文字通り)。

「こんにちは。どうしました?」
「ああ英語分かりますか。いいね。ところでこれをビットコインで払いたいんだけど」
「すみませんが使えません」
「え」
「クレカでなら支払えますが」
「いやそんなことないでしょ。ネットでこの店はビットコインが使える店だって書いてあったから来たんだけど」
「以前はそうでした。二年前までは確かに使えたんですが、今はもう使えません」
「おーらら」


終了。





教訓:現実世界の無数の情報は常に更新され、そして本当に新しく価値のある情報は自ら足を運ばなければ得ることはできない。
インターネットで世の中を分かったつもりになってはいけない。

観光客にとって掛けがえのない半日を費やしたミッションが失敗に終わって夕焼け小焼けで日が暮れて、得た教訓はこれ。
なんて日だ。と

仕方がないからポケットの小銭で払った遅い昼食

食べ終わるとそそくさと店を出てきた道を戻る。とっととモスクワへ帰るよ!
よく見かける星形ツインビルのアパートメント


郊外の駅前で時々見かける24h簡易スタンド。ガラス越しに選択した商品を金と引き換えに受け取る




の前で寒さをものともせず遊ぶ子供

午後三時前でもう太陽は西に傾く。集団下校の子供たち
モスクワへ帰る。多分ソ連時代から使われている、ボロくてうるさいローカル線の車両

しかし最新の小ぎれいな車両よりより旅情を感じるのも確か




1.25.2017

噂の超豪邸

同じ区の中に少し前から売りに出されているこのスーパー大豪邸
歩いていくには遠いが自転車ならそう時間もかからない場所に立つこのお家、そのお値段は

47おく5せんまんえん!

むりむりむりむりかたつむり。例えタダで譲ってもらっても維持できない。
固定資産税だけで年収何年分だこれは。
仮に固定資産税の問題がクリアできたとしても余暇は全て家の掃除と手入れで終わってしまう。家を維持するためだけの人生だ。

いやーいろんな意味で羨ましくないわこれは。
それに…建て替え前の広い庭と数寄屋造りの和風住宅の方が余程魅力的に映る。

何で壊しちゃったのかなあ。勿体ない

1.24.2017

一つ屋根の下で

他人と住むなら、何より求められるのは協調する意思。
時には個を抑えて全体の意思決定に従うことも求められる。
全体より己のエゴを優先させる住民が次々と出てくると、行き着く先はぞっとするようなバッドエンド。

自分が大金を叩いて手に入れた住まいの行方を自分で決められず、運を天に任せるしかない理不尽。
戸建ては戸建てで苦労はあって、何より全てを己の器量で何とかしなければならないという厳しさはあるけれど、自分の家であればそれは当然のこと。集合住宅と戸建てはどちらも一長一短あるが、やはり自分には戸建てが向いているとつくづく思った冬の夜。



1.22.2017

おろしや国一週間(3)12月11日 赤の広場でクレープを食べる

一夜明けて小雪舞う曇りのモスクワ。とりあえずは赤の広場へ

マヤコフスキーと北京ホテル、遠方にクレムリン
今の子供たちは知らないかもしれないが、我々団塊ジュニア世代が子供の頃に世界は西側諸国=資本主義国と東側諸国=共産主義国の二つに分かれていて、西と東は互いを明確に敵とみなして陰に日向に争っていた。
ソビエト連邦はその東側諸国をイデオロギーと暴力で支配して秘密警察で国民を抑圧し、隙あらば我々西側諸国に謀略をしかける何だか分からないけどやたらと恐ろしいラスボスのイメージが強烈にあって、赤の広場とクレムリンはそのラスボスの象徴だったのだが、それもソ連が崩壊しロシアとなって四半世紀も経った今となってはなんだかノスタルジックな思い出。ソ連が崩壊する形で冷戦が終結したのはいいことなのだろうが、能天気の誹りを恐れず言えばロシアよりソ連の方が我々にとってはロマンがあったね。
ということで、自分にとってモスクワといえば赤の広場。

地下鉄では緑の2番線Маяковскаяマヤコフスカヤ駅から二駅目のТеатральнаяテアトラルナヤ駅で下車、連結通路から赤の1番線Охотный рядアホートニュイ・リャド駅の出口から国立博物館脇に出る。

アホートニュイ・リャド駅

①アホートニュイ・リャド駅を出るとすぐ国立博物館
とりあえずクレムリンをぐるりと回ってみる。

ボロヴィツカヤ広場付近の謎の巨像
②クレムフスカヤ通りを東へ進む
③てくてくてくてく
④てくてくてくてく
➄橋の手前を左に折れて進むと赤の広場が見えてきた
⑥聖ワシリイ寺院とはゲーセンのテトリス以来のご対面
聖ワシリイ寺院入口はなぜか警官が陣取っていて人を寄せ付けない。
改修でもしているのか何か分からないが、英語を一言も理解しないロシアの警官※1とコミュニケーションを取るのはほぼ不可能なので仕方なくその場を離れる。

➆クラスナヤ広場付近のイリンカ通りからモスクワ川方面を望む
モスクワ最大の百貨店グムに面した赤の広場には屋台や遊具が並べられお祭りのように賑やか。
かつての恐怖のソ連の象徴も今となってはかくも平和に。

屋台を冷かしながらうろうろしている内に早くも日が暮れる。
冬のモスクワは16時にもなるともう宵の口

⑧
⑧右手にモスクワ最大の百貨店グム。この地でこの建物で120年以上前から営業している老舗でもある

⑨


サーモンのクレープ350ルーブル、キャビアのクレープ390ルーブル

でも買ったのはベリーのクレープ。はいケチです。紙コップにもグムの字が

マイナス10度程度では全然元気なモスクワ人。たぶん身体のつくりが違う

⑧夕暮れ空のグラデーションがやたらと綺麗なのは寒空のせいか

⑩一周して国立博物館へ戻った

⑩とっぷり暮れた赤の広場。これ撮るのに三脚使ったがあまり効果なし


本日のうろつきポイント一覧。サイズ的には皇居一周くらい?


_______
※1 ロシアの警官はロシア語を話せない人間を全く相手にしないので、モスクワで何か犯罪被害にあったら諦めるか日本大使館に駆けこむほか手はないとのこと。おそらく正しい。

1.16.2017

おじさん進化論

Ⓒところてん氏


最近ツボに嵌まったのがおじさん進化図に関する一連のツイート。

面白い。ぐうの音も出ないほど面白い。
そうかー自分は自転車おじさんでバイクおじさんで一眼おじさんかー。派手に枝分かれしてヒドラのようだ。ヒドラおじさん。もしかして近々ボルダリングおじさんにも分岐するかもな
しかしいずれもそこから先には進化しそうもないな。あと蕎麦打ちとか陶芸とかそっち方面には進化しないんだなきっと笑

良くできている樹状図だが、家づくりブロガーとしては是非一つ枝を加えたい。

若者→DIYおじさん→家づくりおじさん 

の系統を。
S氏のクライアントにはどういう訳かこの進化系統に属するおじさんが多い。
なぜかは知らんが

1.09.2017

おろしや国一週間(2)12月10日 シェレメチエボ空港からモスクワ市内へ

成田空港を夕方に出発したアエロフロート便は10時間後にモスクワ郊外のシェレメチエボ空港に到着。9時間で着くヘルシンキに次いでモスクワは二番目に日本に近い欧州であったりする。時差は6時間。

大韓航空、パキスタン航空と並び格安御三家として知られるアエロフロート、そしてアエロフロートといえばシェレメチエボ空港。パッカーに馴染み深いこの空港はこれまでに乗り換えで何度となく利用したものの、入国ゲートをくぐるのはさすがに今回が初めて。

日本からの北回り欧州便が現地に到着するのはほぼ夜になるので、初日のホテルだけは出発前に押さえておくのが吉。この日のモスクワ到着も22時で外気温はマイナス10度。ホテルへ直行する他にすることはない。

いつもは横目に見ていた入国口へ初めて並ぶ

中日ドラゴンズでなくてディナモモスクワのオフィシャルシップが空港内に。UEFAファン必見

おおよそ先進国に分類される国の首都であればほぼ例外なく電車かバスによる空港から都心へのダイレクトアクセスが整備されているので、余程大荷物を抱えているのでもない限りべらぼうに高いタクシーを使う必要などない。
果たしてシェレメチエボ空港にも市内直結の特急「アエロエクスプレス」が乗り入れていて、旅行者はこれかあるいは空港外に停留場がある乗合バスで市内にアクセス、そこから地下鉄に乗り換えてホテルへ向かうのが一般的なルート。
最も安上がりなのは乗合バスだが、少なくとも一時間以上かかる上に到着地は郊外の地下鉄終点駅近辺であることを考えると、およそ40分程度で都心の緑のメトロ二番線ベラルースカヤ駅に直結しているベラルースキー駅までノンストップのアエロエクスプレスを利用するのが最も便利。乗り合いバスに比べれば随分高いがそれでも一般席で420ルーブル。当時のレートはやや円安で1ルーブル=2.3円程度だったが、それでも千円にも満たない。

どの空港でも到着ロビーを歩けばタクシーはどうだと声をかけてくる輩がいる※1が、連中は例外なく白タクなので相手にしてはいけない。正規のタクシーならタクシー乗り場に車を停めれば客の方からやって来るから客引きなどする必要はなく、タクシー乗り場で客待ちできないモグリ連中だからわざわざ客引きをしているのだ。客引きについていってはいけないのは歌舞伎町に限らない。いきつくところはどちらも同じぼったくりだ。
(白タクに限らず、わざわざ向こうから近寄って来る人間には必ず何か下心があると考えていい。まともな人間は見知らぬ外国人に構っているほど暇ではない※2)

はたしてここでも藪蚊のように寄って来る白タク運ちゃんズをニェットニェットと追い払いつつ早足で到着ロビーを抜け、天井から下がっている案内板に従って都心への特急乗り場へ急ぐ。


Train to Moscowの表記に従って進む。英語表記の有難さはこの後で身に沁みて分かる
巨大マトリョーシカ
の裏は土産屋。店番のお姉さんやる気なし

英語表記のスタバを右に曲がればすぐアエロエクスプレスの改札。奥に見える赤いのが自動券売機
アエロエクスプレスの車内。欧州の長距離列車は漏れなく新幹線に勝る。理由はのちほど

ロシアにしてはやたら清潔で快適なアエロエクスプレスはほどなくしてベラスースキー駅に到着し、小雪の舞うホームを抜けてべラルースカヤ駅を探す。

「地下鉄入口の目印はMマーク」という予備知識は仕入れていたもののどこを見てもそれらしきマークが見当たらない。乗り換え口の案内板もないこの不親切さはいかにもロシア。ここで早くも乗り換えに迷うが、メトロ入口をさがして駅の外をうろうろしているとこの寒空に昏睡している酔っ払いを発見。ロシアは酔っ払いもおそろしや

べラルースキー駅前。本当はメトロに乗り換えるのに外に出る必要はない

酔っ払いもしくは死体。放置して何やらしゃべくってる警官もおそろしや

結局、アエロエクスプレスのホームを出てすぐ左側にある不愛想な木のドアがメトロ入り口であることが分かった。頼むから国際空港直結の特急から乗り換えるメトロの入り口くらい英語で書いといてくれ。分からん

ホームを出て見える正面が駅出口でメトロ入口は左手。MマークはどうしたMマークは

モスクワ地下鉄はアエロエクスプレスの新しさに比べやたらと年季が入って古めかしいが、驚くのはその運行本数。東京メトロなら7、8分に一本がせいぜいの土曜日の深夜という時間帯にもかかわらず、3分とおかず次から次へとやってくる。ラッシュアワーの山手線並。何だかすごいぞモスクワのインフラ

モスクワ名物、異常に長いエスカレータ
ベラルースカヤ駅ホーム。使い古したリモワのスーツケースのような地下鉄車両

深夜の寒空にスーツケースを抱えてホテル探しに右往左往という事態は避けたかったので、とにかく地下鉄駅から近く見つけやすい事を第一に選んだ結果、予約したのは二番線マヤコフスカヤ駅にほど近い北京ホテル。スターリンが北京でソ中友好条約か何か結んだ記念すべき年にオープンしたのがその名の由来とのこと。
予約サイトで見る限りではスターリン様式で非常に目立って見えたこの北京ホテル、果たしてマヤコフスカヤ駅を出るといきなり真正面にそびえ立っていて受ける。こりゃ迷いようがないわ



出入り口ドアを開けて左手にどどんと北京ホテル
右手にどどんとクリスマスツリー
駅名の由来の詩人マヤコフスキーの像。実は芸術先進国のロシア、詩人の地位は日本のそれより遥かに高い

スターリン時代の建物だけあってさすがに建物や設備の古さは否めない北京ホテルだがパッカー上がりには十二分に快適。外資の大型ホテルに比べれば値段も随分とリーズナブルで空港からのアクセスも極めて良好、初めてのモスクワの宿としては当たり。


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※1 北京の白タク運ちゃんズは「ホイッチ!ホテー!」と連呼。Which hotel?を意味するものと思われる
※2 経験上唯一の例外はシリア。道を探してうろうろしていると通りがかりがどうした何を探しているのかと声をかけてきて、こちらがアラビア語を解さないと分かると英語が話せそうな人間を探して連れてくる。そして何の報酬も求めない。かの国ではこんなことを何度も経験したが、これは例外中の例外。同じアラブでも外国人と見れば金を巻き上げることしか考えていないモロッコのような国もある。こういう観光客ずれしきった国では人々との触れ合いなど期待するだけ無駄



1.08.2017

階段を白くする理由

意識的に一階は白基調で色数を少なくするようにしているが、今回はその一環として階段を白で塗装することとした。清楚でおぼこい雰囲気を漂わす白木の階段をいきなり大胆に塗ってしまうのは流石に躊躇するが、我が家の階段は既に家主によって踏板を久米蔵色で塗られている他、よく見れば傷やら汚れやら7年の月日を伺わせる年季の入ったいわば熟女。お色直しにさほど抵抗はない。
塗るのは踏板でなくそれを支える側桁。これを白く塗ることで一階の白基調を強調するとともに階段自体の存在感を弱めるのが狙い。
階段は基本的にデッドスペースであり、デザイン上のハイライトとなるような凝った造形、またはLWH003のように家の中でシンボリックな位置づけにあるなら別だが、我が家のような何の変哲もない直階段の存在感などないに越したことはない。またその方が部屋もより広く感じられるのではないだろうか。集成材なので木目を塗りつぶしてしまう勿体なさもない。

というわけで12月の週末を使って工事。事前のマスキングと事後のマスク漏れの後始末に意外に手間を取ったものの、塗装作業それ自体は簡単な部類。


色はアトムハウスペイントの水性グレーホワイト。この色につや消し色の設定はないので、仕上げにつや消しのニスを塗っててかりを抑える。

現在の我が家の巾木や窓枠に使用されている色はミルキーホワイト(画像右側に少し見えている色)。追加塗りは既存の色に合わせるのが原則なので一度目の塗りには同じミルキーホワイトを用いてみたものの、ホワイトの中でも自己主張が強いこの色は漆喰の白壁に溶け込まず浮き上がってしまう。漆喰のホワイトは鉱物である消石灰の色なので元々無機的でクールなホワイトであり、黄色みの強い有機的なホワイトであるミルキーホワイトとの相性は決して良くはない。やってみて初めてわかるこの誤算。
またこのミルキーホワイトは踏み板の濃茶と組み合わせるとややカントリーな雰囲気が出てしまうことが分かった。別にカントリー調は目指してないのでこれも誤算。巾木や窓枠といった小面積に塗られる限りではそれほど目立たなかったミルキーホワイトの違和感が、階段の側桁のような大面積に塗られて一気に前面に出てきてしまった格好だ。

考えた末に二度塗り目は思い切ってグレーホワイトに変えてみたところ、これが大正解。クールで陰のあるこのホワイトは漆喰の白と馴染みがよく、踏板の濃茶とも実によく合う。
気を良くして階段横の窓枠もグレーホワイトにしてみたが、やはりミルキーホワイトの窓枠より背後の漆喰によく馴染む。明るい色の床に合わせるならミルキーホワイトが合うかもしれないが、濃色の床や漆喰に合わせるなら断然グレーホワイトだ。
出来れば現在ミルキーホワイトで塗られている巾木や窓枠をすべてグレーホワイトで再塗装したいところだが、面倒くさいので多分やらない。

工事が終わってみれば一応は目論見通り、白く塗られた側桁は白い壁に溶け込むことで存在感が後退し、上り下りする度に足元が何となく広くなったようにも感じられる。
素人仕事のクオリティはご愛敬で近寄ってみれば粗は目立つものの、遠目や暗がりなら…まあいいかこれで。

2016年の家づくりはこれにて終了。2017年も計画だけはいろいろと。


1.07.2017

バックパッカーからフラッシュパッカーへ

バックパックこそ背負っていなかった(当時はショルダーバッグメイン)ものの、若い頃の旅のスタイルはほぼバックパッカーのそれに等しかった。
費用節約の為に夜行列車を多用(もちろん三等)し、移動は出来るだけ徒歩。交通機関に複数の選択肢があれば躊躇なく最安なのを選択。宿は予約せず現地に到着してから安い部屋を探す。基本は町はずれにあるユースホステルかドミトリー、そこで得た情報をもとにまた動く。パン齧って水飲んで、距離を競うようにとにかく移動する。我ながらよくやったものだ。

そのような典型的な貧乏旅行スタイルも今は昔、ネット普及の恩恵で、今時はバックパッカーであってもそのスタイルは随分とスマートになっている。
まず宿は足でなくネットで探す。航空券はもちろん、長距離列車も長距離バスもチケットはネットでおさえる。ガイドブックは持たず、必要な情報は随時ネットから引き出して最短距離で移動。必ずしも安さのみを追求するのでなく、時間を節約するのに金は惜しまない。
このようにネットワークを駆使して動き回る旅行者を近年ではフラッシュパッカーというらしい(フラッシュとは掌で光るスマホを指すのだろう)。であるならば例外なくスマホを手にしている今時のパッカーは皆それだ。

年を取ってショルダーバッグがスーツケースになり、三等寝台が二等ときどき一等寝台になり、郊外のユースが都心のホテルになるなど自分の旅のスタイルも随分変わってきたが、一番変わったのはやはり旅そのものの組み立て方。
明日の行き先は前日の晩にネットで情報を集めて決める。ホテルの部屋もその時におさえる。列車や航空券のチケットもネットから予約する。こうするためにかつては「PCつき」の条件でヒットするホテルを渡り歩いていたが、誰もがスマホを持つ今となってはそれを売りにするホテルもなくなった。代わりに当たり前のようにWiFiを飛ばしている。その点でも随分と便利な時代になった。

実際、ネットの普及がどれだけ旅行者を自由にしフットワークを軽くしたか分からない。我々はどこにいても必要な時に必要な情報をその場で引き出し、その場で好きなように組み合わせて旅を続けることができる。そこがいわゆる観光地でないところであっても興味を持てばその場で情報を調べ、行き方を検索して実際に行ってみることができる。スマホがあればもはやガイドブックすら必要ない。

そう考えるとパック旅行のメリットって今やほぼないのではないだろうか。楽といえば楽かもしれないが…
そうか楽か。なるほど。楽がメリットか。なるほどそれは確かに。

12.27.2016

おろしや国一週間(1)ビザを取る

日本のパスポートが高値で取引されている(らしい)のは、それさえあれば世界中の大体の国へはビザなしで渡航できてしまうから。使い勝手が極めていいのだ。当たり前のようで当たり前でないこの事実は、日本という国の国力と長い間かけて培った国際的な信義の賜物。日本人ならそう悪いことはしないだろうし入れてやってもいいかという信用の表れだ。先人に感謝。
ちなみに某国のパスポートを持ってビザなしで渡航できる先進国は、かの国が世界第二位の経済大国となった今でも殆どない。どういうことなんでしょうねえ(すっとぼけ)

その日本もロシアから見れば敵の大将の子分であり、太平洋に蓋をしている目の上のたんこぶ。当然ジャパンパスポートの威光は通用せず、かの国に渡るには今でもビザの取得が必要。
それも結構厳しく、個人で取得するには滞在予定ホテルの発行した予約バウチャーの提出が必須。ある程度のホテルであればバウチャーを発行してくれるのは後程分かったことだが、ビザ発行にもそれなりの日数が必要であったこともあり、今回は素直に金で解決。
すなわち、ビザ取得代行業者に依頼する。

ロシアビザセンターにネットで申し込んでからパスポートと写真一葉を郵送。取得を急ぐほど費用は高くなるが、自分は「二週間待ち・期間一か月・再入国可能」ビザを選択し8,000円を指定口座に振り込む。
待つこと二週間、ビザが印刷されたパスポートが無事返送されてきた。


*****
ビザ取得といえば印象に残るのがシリアのビザを取った時のこと。
もちろん今の国家崩壊したシリアではなく、今は亡きアサド大統領独裁のもと、国民は言論の自由はなくとも平和と秩序と繁栄を享受していた社会主義国の優等生であった頃の話。※1

シリア大使館は赤坂の奥の閑静な高級住宅街にあった。蝉しぐれだけが響き渡る夏の午後、汗を拭きながら地図を片手に坂道を上りたどり着いたその大使館は、小国の常で大使館とはいっても個人の豪邸といった趣。その門をくぐり玄関のチャイムを押して来訪の用件を告げると、ややあってリモートで玄関ドアが解錠された。
中に入り、インターホンで指示された通り薄暗い廊下の突き当りまで足を運ぶと木製のドアをノックする。
ドアを開けると十五畳ばかりの部屋。正面奥にはマホガニーと思しき大きな木製の机があり、その向こうで眼鏡をかけたグレーのスーツ姿の中年と呼ぶには少し若いくらいの女性が足を組み一人で書類を書いている。見たところ日本人のようだが、いかにもキャリアウーマン然としたてきぱきとした物腰はアナ・ウィンターを彷彿させる。

改めてビザ申請の用件を告げ、毛足の長い絨毯の上を歩いて机の前に進むと持参した必要書類を手渡す。
おおまかな日程表と職場上司の人物推薦状、それとシリア出国後にイスラエルには入国しないという誓約書。
書類は職場のPCで仕事の合間に作成しプリントアウトしたもので、推薦状は自分で書いて仲のいい先輩社員にサインだけしてもらったものだ。フォームは全て英語が指定されている。

一連の書類にさっと目を通したアナは言った。

「大体いいんですけどこれ、この誓約書は少し問題があるので書き直してもう一度提出してください」
「何かおかしいですか」
「ここのところ、State of Israelと書いてありますね」
「はい」
「あそこは国ではありません。認めてませんから。Israelとだけ書いてください」

淡々とした声とこちらを一瞥した目には何の感情も認めることは出来なかった。
魚は空を飛べませんから。まるでそう言うが如く、ごく自然で当たり前のものといった口ぶりでアナはそう言った。

ああ、彼らにとってイスラエルは今でも仇なんだ。イスラエル人は仇敵なんだ。
そういえばビザ発行条件の一つに「イスラエルの入国履歴がないこと」があったことを思い出し、その憎しみのない淡々とした口調に逆に日本人には想像もつかないアラブ問題の根の深さを垣間見た気がしたものだ。


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※1 ろくでなしのイスイス団が支配する世界一危険な魔境シリアとなり果てた今となっては信じられないことかもしれないがシリア人は本当に旅人に親切で善良で、これまで訪れた28か国地域の中でも人間の印象はダントツの一番。ロシア?うーん最下位争いかな笑