7.13.2014

2月22日 Berlin

ベルリン空港まではモスクワ乗り換え。アエロフロートを使うのは実に10年ぶり。乗り換えで立ち寄ったシェレメチェヴォ空港にはターミナルDという新しい国際線ターミナルビルが出来ていて、ソ連時代の陰鬱さを引きずっていた以前のシェレメチェヴォ2(ドゥヴァ)ターミナルとのギャップにびっくり。この明るさと清潔さとアメニティは完全に西側先進国レベル。職員の対応まで良くなっていて、初めて訪れた頃のソ連色が未だ残るおそロシアなシェレメチェヴォ空港からは隔世の感がある。

おそロシアな雰囲気は完全に払拭された新ターミナルD。やれば出来るじゃないか
2003年 薄暗く殺風景な旧ドゥヴァターミナル、中国人がそこら辺で新聞紙敷いて寝ている
1997年。ソ連崩壊から6年、一番派手な免税店ストリートでいまだこの有様。なぜこんなに暗い。おそロシア

初めてのベルリンの滞在日数は二日。欧州屈指の大都市を堪能するのにはとても足りず、今回は専ら旧東ベルリン中心街をうろうろするに留まる。
宿の最寄りのハッケシャーマルクト駅はJR新橋駅を設計したドイツ人技師がお手本にしたとかで、確かにレンガ造りのアーチなど特徴がよく似ている。ただし新橋駅前に展開するおやじパラダイスはここにはない。あれはジャパンオリジナル




ベルリン中央を流れるシュプレー川には五つの博物館・美術館が集合した博物館島と呼ばれる中洲島がある。これだけでもじっくり見るなら二日はかかるところ、何せ時間がないものでこれらの見物は全部スルーし、隣接するホーエンツォレルン家ゆかりの大聖堂に入ると、270段の階段を上った先にある物見台からベルリン市街を一望する。博物館島周辺は工事工事工事アンド工事


ブロンズの天使像のあたりが物見台、高さ約110m




駆け足の二日間で唯一入った博物館が川を挟んで大聖堂と向かい合うDDR博物館。その名の通りDDR(ドイツ民主共和国)体制下の東ベルリンの様子を記録展示してあるミニ博物館で、東独時代の一般家庭のリビングとキッチンを再現した部屋などなかなかに興味深い。東独の雇用は完全に男女平等で、育児支援も国を挙げて行っていたそうな。21世紀の日本より余程進んでいる

川岸地下にあるDDR博物館
東ベルリン一般家庭の可愛らしいリビング。TVからは当時のニュース映像が流れている
あら可愛いキッチン
統一後急ピッチで再開発を進めたのであろう、旧東ベルリンでは東独時代を感じさせる建築物は殆ど目にする事はなかった。この後訪れたワルシャワあたりだと未だ共産主義時代の街並みが残っていたりするのだが、有り体に言えば経済大国と貧乏国との差だろう

夜になって訪れたホロコースト記念碑は異様な空間で、だだっ広い丘にコンクリートの巨大な立方体が無数に並べられている。安藤忠雄か。その異様さもさることながら、最も有名な観光名所であるブランデンブルク門から歩いて数分というロケーションにも驚く。最高の見せ場のすぐ隣に最大のタブーの痕跡を置かざるを得ない、それほどに大きな罪なのだという事は数日後に訪れた強制収容所で実感する事となる


ヒトラーが最期を迎えた総統地下壕跡は何の変哲もない駐車場。説明パネルがなければやり過ごしてしまう


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