8.28.2012

2月21日 Riga (3)

家づくりブログでこのまま旅ネタを続けていいのかしらん。まあいいか
しかしもう半年以上前のことかー。年をとると本当に時間が過ぎるのが早いな


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ユーゲントシュティール建築とコーヒーとケーキを満喫したアルベルタ通りを後にすると、冬の曇天は早くも薄暗くなりつつある。
次の目的地シャウレイに向かうバスが出る17時30分までに最後の目的地へ急ぐ。


リーガの街に沿って流れるダウガヴァ川近くにその墓標のような黒い建物は横たわっていた。
占領博物館。
ここには、この国が1940年にソ連に占領・再併合されてから1991年に独立を勝ち取るまでのおよそ半世紀の苦難の歴史が閉じ込められている。

入館料はお気持ち代、スタッフは学生ボランティア。ラトビア国旗を沈鬱にアレンジしたマークはグッドデザイン

リーガの人口構成でラトビア人が過半数を占めるようになったのはここ数年のこと。ソ連崩壊まではこの街で圧倒的に多数派だったのはロシア人。
なぜか。理由は予習で知っていた。エスニック・クレンジング。

この街に古くから住んでいたラトビア人をソ連の荒野の方々に追いやり、代わりにロシア人が大挙して入植する。
それも何万人単位で。
再占領・合併からわずか数年で人口構成比はがらりと変わってしまったという。
思想の自由も言論の自由もなく、ソビエト共産党に反体制のレッテルを貼られれば一家揃ってシベリアの強制労働キャンプにご案内。下手すれば銃殺。そのような圧政がソ連崩壊まで続いていた。
独立政府がロシア人に対し諸々の権利を制限する政策を打ち出した甲斐あってロシア人はロシアに帰り始め、今日になってようやく過半数をラトビア人が占めるまでに回復したものの、なお多く残る在留ロシア人問題はこの国に暗い影を落としている。

過去の経緯を考えると米国という国に対しては愛憎相半ばするところがあるのだが、9条信者の甘っちょろい夢想※1を吹き飛ばすこういった圧倒的な現実を目の当たりにすると、少なくとも戦争に敗れた我が国が事実上の米国単独占領下に置かれたのは不幸中の幸いだったと考えざるを得ない。降伏の時点でソ連軍の北海道侵攻は秒読みの段階であり、どさくさ紛れに北海道を我が物にしてしまおうとするソ連の領土的野心が米国の強い牽制によって頓挫しなければ、この街で起こったことはそのまま札幌で、旭川で、函館で、再現されたに違いないから。

少しばかり重い気分※2でリーガのバスターミナルに向かう。
今晩中にはリトアニア入り。



長距離バスターミナル
17時30分リーガ発シャウレイ経由クライペダ行きは2番ホームから

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※1 非武装無抵抗でひたすら平和を唱えれば悪いようにはならない?笑わせちゃあいけない。無防備都市宣言運動にかぶれてるお花畑ちゃんも同様、現実を見てからモノを言え
※2 この後のヴィリニュスでは更にどん底の気分に突き落とされる場所を訪れる事になる。バカねバカねよせばいいのに


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