8.29.2015

何にもない贅沢

ミニマリズム特集についての賛否両論の反応のなかでこのツイートに対して一番共感。叩き過ぎて膝が痛い。
そうなのだ。整理整頓が一定のレベルを超えたら、それ以降の空間は金で買うしかなくなる。

どういう事か。我が家を例に取れば、自転車メンテのツールが収納引き出しの一段を占めている。その他自動車・バイクメンテツールで二段、靴磨き用品で一段、アイロンで一段。窓拭きツールで一段。等々
これらを全部捨ててしまえばかなりスペースが節約できるのは間違いない。ではなぜそれをしないか。金が掛かるからだ。
メンテツールを捨ててしまえばどんなに軽い整備でも金を払ってお店に任せるしかないし、靴磨き道具を捨てるなら一足ずつ金を払って靴を磨いてもらうしかない。アイロンがなければワイシャツは全てクリーニングに出すしかない。窓拭き道具がないなら業者に依頼するしかない。
軽く年間10万円以上の差が出るが、この負担を受け入れるのであれば、すなわち「空間を金で買う」事を選択するのであれば、壁を乗り越えることが出来る。だが自分はそんな贅沢は良しとしないので捨てられない。よってモノ減らしはここで壁にぶちあたる。

これをさらに突き詰めればもっと分かりやすい。
飲食を全て外食とするなら家に冷蔵庫もキッチンもいらない。
衣服は毎日購入して着捨てるなら家にクローゼットも洗濯機もいらない。
入浴は毎日銭湯かスパを利用するなら家にバスタブもシャワーもいらない。
生活の全てをアウトソースすれば「なんにもない」生活には容易に到達出来る。
ただしこの「なんにもない」生活には「なんにもない」がゆえに恐ろしく金が掛かるし、ミニマリズムという言葉から連想されるエコとか清貧とは正反対、むしろ究極の贅沢。

上記は極端な例。だが世で持て囃される所謂「なんにもない」生活の多くは畢竟、これを何倍かに希釈したレベルの生活を指すのに過ぎないのではないだろうか。
と疑ってしまうのは自分の根が吝嗇だからなんだろうな、きっと。

8.17.2015

東北GT(2)入道崎・真山

東京からむつ市までおよそ800kmの距離を一日で走破してしまうと距離に対する感覚が狂ってきて、「400km?そんなに遠くないね」みたいに捉えてしまうのが恐ろしい。
第一目的である恐山参りは早々に達成してしまったので残りのプランは割と適当。弘前城は改修のため閉鎖中なのでスルーして、秋田の入道崎までおよそ500km。
日本海に突き出た入道崎は夏休み前の平日とあって人気もまばら。なんにもないなんにもないまったくなんにもない、と思わず口をついて出るギャートルズ世代。

なんにもないなんにもないまったくなんにもない
北緯40度の岩。まっすぐ左に向かえばマドリード、右に向かえばフィラデルフィア
灯台からみてもなんにもない
灯台の袂ではクローバーが満開、花は白でなくピンク
なんにもないなんにもない車もなんにもない
たまに訪れる人がいても灯台に登ることもなくそそくさと行ってしまうのだが、自分にとっては閑散としているところが却って旅情をそそられて好ましい。東京では味わえない閑散を二時間ほど堪能すると、程近くにある真山へ向かう。まやまでなくてしんざん

なまはげ神社として有名な真山神社。参拝殿の脇から昇る五社殿までの道は細く険しく、もののけ姫の世界のようで雰囲気はとてもいいのだが建築資材をどうやって搬入したのか不思議でならない。



総杉造りでS氏好みの五社殿
 

真山神社入口から歩いて一分のところにあるなまはげ館でなまはげを学ぶ。
なまはげはラーメンズがネタにしたような生のハゲという意味ではなく、なもみを剥ぐ「なもみ剥ぎ」が訛ってなまはげになったという。火に長時間あたっているとできる火ぶくれをなもみといい、なもみは(外で働きもせず)火にあたってばかりいる怠け者の象徴。そしてなまはげが手にする出刃包丁は凶器ではなくなもみを剥ぐための道具。
祝祭に際し仮装して家々を訪れる風習は世界の各地にもあるらしいが、恐ろしげな衣装を身に纏い怠惰の戒めを第一とするなまはげはいかにも日本らしい。

なまはげ館まで来たらすぐ隣で見られるなまはげ実演を見ずには帰れない。
観客は一回ごとの総入れ替え制だが、スケジュールを確認したらなんと一日13公演。AKBもびっくりの超ハードスケジュール。それなりに声も張っているので一人で朝から晩まで全ての回に出られる訳もなく、なまはげキャストが沢山スタンバイしているのに違いない。すごいぞなまはげ48

なまはげ48劇場
生で見るなまはげは迫力満点だが、なまはげ公演の最高の演出は子供の泣き声。
チケットを買ったら開演待ちの観客の中に子供がいる事を確認すべし。




8.02.2015

東北GT(1)恐山

所有している車にはエアコンがついていない(つけられない)上にシート真後ろにラジエーターがある為、真夏のドライブは室温が40度近くまで達してしまう。車自体はオーバーヒートとは無縁だがドライバーがオーバーヒートになってしまい大変危険で、必然的に夏季は完全にオフとなるのが恒例。
であったのだが、何をとち狂ったのか早めに取得した夏休み期間を利用して東北グランドツーリングを企画する暴挙に及ぶ。この機会に一度行ってみたかった東北の名所を車で廻ろうと思い立ったのだが、五日間で2000kmにも達した旅路はドライバーにも車にも大変過酷なものとなったのであった。結論から言えばやるもんじゃない。無謀すぎる


まずは恐山へ。ここを通常の週末で訪れるのはまず無理。
なぜならもう滅茶苦茶遠いから!滅茶苦茶遠いから!大事なことなので二回言いました。

年に一度の大祭、参加者が三途の川を渡っていく
各所にある風車は輪廻を象徴するアイテム、門前の売店で400円で買える


日本三大霊山の一つに数えられる恐山だが、恐山という山は存在せず、周辺の山あいに囲まれた一帯をそう称している。あちこちから吹き出している硫黄ガスが強烈な臭気を放ち、鉄柵や鉄灯篭はボロボロに腐食している。
荒涼とした風景は硫化されて骨のように真っ白な岩石で埋め尽くされ、無間地獄や賽の河原などおどろおどろしいネーミングの看板が各所に立っているのだが、しかしただの淀んだ池を血の池地獄と名付けたのはちょっと無理があるんでないかい。盛り過ぎ


開山した円仁が座禅を組んだという岩。よりによってこんな斜めの岩に座るこたないでしょ

その地獄ゾーンを抜けると眼前には真っ青なカルデラ湖が広がる。その名も極楽浜。
非常に透明度が高いのは酸性度が極度に高いせいだが、それまでの彩度の低い殺伐とした風景とのコントラストは見事なもので、昔の人がここを地獄と極楽になぞらえたのも頷ける。




恐山は曹洞宗円通寺の所轄であって、有名なイタコはその軒先を借りて商売しているようなもの。この日も暑い中出張イタコのテントが並んでいたが、イタコの口寄せというのは一方的に話すのを聞くだけで会話は出来ないらしいと聞いたので寄るのはやめておく。それはそうだろう、会話などしたらボロが出るに決まってるし


恐山は地元では古くから崇敬の対象となっていると聞くが、昔の庶民にとっても恐山巡礼は富士講と同じく一大娯楽イベントであったのではないか。山あり谷あり湖あり地獄あり極楽ありでアトラクションとしても一級。行ってみれば分かるが普通の観光地で恐ろしいことなど一切なく、それよりマムシ注意の看板の方が余程怖い。まあ一度は行く価値あり。遠いけど。


8.01.2015

小さい家における神棚のディスプレイ

調べてみると神棚を祀る場所には制約がいろいろあって、北向き西向きはNG、基本的に一階はNG、目線より低い場所はNGで下を人が通るような場所もNG、寝床の前もNGで恐らく鏡の上もNGか。これを当て嵌めれば小さな我が家で設置可能な場所は二階の北側の壁のごく一部、エアコンの横にほぼ限定される。
この神棚には背面に吊下げ用のフックがついているがブラブラと紐で吊り下げるのもあまり格好のいいものではないし、そんな不安定な祀り方ではちょっと失礼だろうという事でしっかりとした、しかし全体のフォルムを損なわない最低限の大きさの壁掛けホルダを製作。工作は簡単


①ウェブから鉄板加工屋さんにパーツを発注してー
素材はSECC、アルミやステンにしなかった理由は後述

②接着・塗装してー

③神棚をセットしたら表しになっている軒桁にビス止めして終了。
磁石で銅板を留めればお供え物も可、ただし一品限定


同じ白色でもっと巨大な物体であるエアコンの真横にある事で存在感が打ち消され、ぱっと見はエアコンの一部のように見えなくもない控え目な佇まい。これでよしと