3.23.2014

家買ったんだって?

家を建ててしばらくは↑この言葉への違和感が相当あって、始めのうちは律儀に「いえ建てたんです」と訂正していたような気がする。そのうち適当に合わせる様になったが。

家を買うと作るの違いについてはS氏も意見を述べられているが、何となく言いたい事は分かる。
規模の大小や値段の高低に関係なく、「家を買う」と「家を作る」は違う。
何が違うのかといえば、施主の立ち位置が違うとでもいおうか。一言で言えばあちら側とこちら側で向かい合っているか、ともに肩を並べて同じ方向を見ているかの違い。

どんなに高価であっても「家を買う」のはあくまでも「買い物」であって、それはお店で車や時計を買い求める行為と本質的に変わる事はない。買い手の立場はあくまでも「お客様」。家は「製品」としてはじめからそこに存在するものであって、それを誰が作ったかなど知る由もないし、そんな事はどうでもいい。それは作り手も同様であって、今作っている家をどんな人が買うかなど知ったことではない。
「家を作る」施主はお客様じゃないのかといえば客には違いないのだが、客とはいえ単に現金と家を交換して終わるだけのドライな関係では済まない。施主はいちいち設計者や工務店と協議しながら更地に家を建てる工事に参画する役割があり、オラオラこっちは客だぞと言っているだけで済む立場ではない。この点で単なる客、買い手というよりも共同作業者に近いものがある。
当然お互いの顔もよく見える。

「家を手に入れる」という結果は同じであっても「買う」より「建てる」の方が、双方にとってそのプロセスはより豊かで満足度の高いものとなるのではないか。家を作り上げる苦労を知っている施主が新車購入のノリで「限界値引き」をゴリゴリ迫る事はないだろうし、入居後に不具合が出たとしても「高い金出して買ったのにふざけんな」という殺伐とした文句が浮かぶ事も恐らくない。作り手も人間である以上、施主の顔が見えた方が苦労のし甲斐があるだろうし、工事を見に来た施主から笑顔で挨拶されれば気分よく仕事が出来るだろう。
出来あがった家を買うより遥かに面倒くさく、しかし遥かに豊穣な作業。
それが「家を建てる」ではないかと思う。

これはいい悪いではなくて向き不向きの話。家などあくまで資産の一つという価値観を持つ人にとっては確実な流動性が見込める家を手っ取り早く手に入れる事こそが至上であって、そこにウェットなプロセスや思い入れなど入り込む余地はない。そういう価値観は否定しないしそれはそれでアリだと思うが、ただそういう人は「買う」に徹した方がいい。互いの幸せのために。

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