3.20.2015

歎突抄


チュニジア良いとこ一度はおいで。

ホテルの窓から




チュニジアは、いわば北アフリカのデンマーク。


そのこころは。
小さな国土に見所がコンパクトに詰まっていて、限られた時間でも効率よく見て廻れる。
まとまった休みがなかなかとれない日本人にはうってつけ。


ナツメヤシの生い茂る砂漠の町から


ラクダに乗って

遠くの立小便も丸見えなんだな

サハラを旅して戻った翌日には


船に乗って

釣竿なしで釣りをするケルケナ島の爺さん

地中海の島に渡り、ひねもす海を眺めてのんびりできる。
この国は北アフリカの国で唯一、一つだけ島を持っている。

カルタゴ軍港
カルタゴ軍港跡

この国の前身はかつての地中海の覇者、カルタゴ帝国。
新興勢力のローマに滅ぼされ徹底的に破壊しつくされたとはいえ、歴史的な観光資源はいまだ豊富に残っている。

ピュルサの丘

見所にはことかかない。


「金くれ」ではなく「ナツメヤシでもお食べ」と言っている。干し柿より甘い

人間もいい。
基本的にシャイだが、どいつもこいつもどうっしようもなく観光客ズレしてしまったモロッコなんかより遥かにまともな人たち
下心なく旅人に親切にしてくれる人がまだまだ沢山いる。治安も良好。


塩味が効いている
食べ物も全般的に日本人の口に合う。本場のクスクスは美味しい





チュニジア良いとこ一度はおいで。




これが昔話になってしまったことが残念でならない。
安全だったチュニスでこれなら、北アフリカはもうダメだ。
いたるところにイスイス団の手下が跋扈しているのだろう。シリアで斬首されたフランス人もアルジェ近郊で拉致されたと聞いて慄然とした。
宿願のアルジェリア行きをこの冬に強行していたとしたら、あれは自分であったかもしれないのだ。冗談でなく。

日本の国がまだテロ禍と無縁でいられるのはひとえに物理的な距離の隔たりと、日本人の中ではアラブ人は目立って仕方ないと笑 
だがこの平穏もいつまで続くかは分からない。


訳知り顔で「彼らにも理がある」なんて愚論を垂れる馬鹿は軽蔑する。
いかなる理由があろうとテロリズムが正当化され得る筈がない。




(卑劣なテロの犠牲になった方には衷心よりお悔やみ申しあげます)

3.14.2015

あの土地は今(港区)

かつて購入を検討した土地を今になって訪れる「あの土地は今」シリーズ、渋谷区(円山町)に続いて所用のついでに再訪したのは港区の都心の土地。

我が家の立地も一応は都心と言えなくもないが、これといった繁華街もなく華やかさとは無縁。良く言えば渋い、有り体に言えば地味な、言わば都心の郊外。
だが今回再訪した土地は都心も都心、六本木で飲んでも麻布十番で買い物しても余裕で歩いて帰れるという正真正銘の超都心。一般人に購入可能な価格帯の売り物件が出ることなどまず滅多にない土地柄なのだが、土地探しをしていた2008年に七坪という希少な売り物件を発見。大いに気分が盛り上がって仮契約まで一気に進んだものの、結局一階をガレージにしたら生活スペースがほとんど取れなくなることに気が付いて購入を断念したという経緯。

円山町の十坪はとうとう家が建つことなく駐輪場に転換という残念な現状が判明したのだが、今回はどうか。十坪より更に狭い七坪ではますます厳しかろう、時間貸しの駐車場にでもなっているかも…などと思いつつ記憶を頼りに辿り着いた先には、





今度はちゃんと家が建っていた。

前面の植栽は綺麗に整えられ、門灯やポスト、黒い外壁ガルバに合わせた黒い樹脂サッシなど、細部まで家主のこだわりが垣間見える、小さいながらも瀟洒な家。ほぼ正方形で間口が広い地形のせいもあり、こうしてみるととても僅か七坪の超狭小地には見えない。

結局縁が無かった土地とはいえ、誰かがきちんと家を建てて生活しているのを見られたのは何となく嬉しいもの。たった七坪?大丈夫いけます。車さえ置こうとしなければね




3.12.2015

路地裏のイラスト

赤坂の路地裏、何かの什器が収容されていると思しきキャビネットの扉に張られたホワイトボードにマーカーで描かれたイラストは、地下にあるレストランの看板。
イラストは不定期で更新される。


お店に入ったことはないものの、通りがかるたびに見事だなあと眺めている。下書きもなしでこういうイラストをさらさらっと描けるのってカッコいい。こういう絵心のある人は自宅の壁やドアに全面ホワイトボードを貼れば楽しい家が作れるのではなかろうか

3.10.2015

サバイバルライフ アズ ツーキニスト

帰宅途中の麹町付近の裏道。ライトに照らされた前方に白い自転車が浮かび上がる。
反射するリフレクターのパターンで警官の自転車であると分かる。はたしてゆっくり漕いでいるのは制服姿の巡査(だか巡査長だか)。
重い自転車でちんたらちんたら走る警官。こちらは帰路を急ぐロードバイク。
後方からぐんぐん接近すると普通に右側から追い抜く。
と、その瞬間にまさかの転回開始。

心臓が喉から飛び出そうになりながら、後方確認もせずにいきなりUターンを始めた警官を辛うじてかわす。間一髪(髪の直径は0.1mm前後)というほどでもないが間10cmは確実に切っていて、0.1秒反応が遅ければ間違いなく大事故になっていたところ。

(漫画やドラマでよく見られる「あーあぶなーい!」なんていう声は出ない。人間、本当に危ない時はそんな声を出す余裕などありはしないのだ)

さすがに頭に血が上り、こちらもUターンして追いかけると人目も憚らず大声で叱り付ける。誰がどう見てもどちらが悪いかは明らかなので、サーセンサーセンと平謝り。それでも全然気は済まないけどね。相手が相手だけに、事故になっていたら極めて不利な立場に立たされていたであろうことを考えると余計に。


朝に晩に東京の街中を走り回ること四年余り、八千キロを経て辿り着いた結論は、東京の交通マナーはつくづくクソだということ。
自動車も、自転車も、歩行者も。
警察官にしてこのザマで、しかもこんなのはほんの一例。逆走警官なんか珍しくもなんとも無いし、都内の人身事故の10%はタクシーが起こしているという驚くべきデータも、毎週のようにタクシーの信号無視を目撃している身としては全く驚くに値しない。


テスタロッサ(通勤快速号)のステムに取り付けているライトは1300ルーメンという殺人的な眩しさを放つ、極めて強力なフラッシュライト。前を行く人は振り返り、すれ違いざまに「眩しいぞー」と文句を言われたり対向車からパッシングを受けたりすることも偶にある。
それも仕方ない。一面では、それこそ狙い通り。なぜなら文句をつけるということは確実にこちらの存在を認めているということだから。
甚だ不本意なことではあるが、そのようにでも考えを割り切らなければ、この洗練さの欠片もない、野蛮そのものの東京の路上でツーキニストが生き残ることは到底覚束ないのだ。


3.01.2015

花盛りの早春

植えつけて二回目の冬が終わる頃にクリスマスローズが初開花
我が家の花見頃は世間より一月ばかり早い。

ルーセブラック
福寿草も開花間近

2.27.2015

志のあるところに



以前のエントリでも触れた、文鳥堂書店跡地に開店したかもめブックスの話。

こだわりとポリシーがある人が作る店が面白いのは必然。
通勤路から面白い店がなくなるのはつまらないので、皆様も神楽坂にお越しの際には是非お立ち寄りを。
神楽坂といっても神楽坂の果てだけど笑

2.24.2015

ちょこダイな照明(夜)

1.ビンテージクロックを手に入れた。
2.壁に掛けた。
3.暗くてよく見えないな照明を追加しよう。
4.せっかく照明を足すのなら合板の壁もなんとかしよう。

という順で辿りついた壁板張り工事。
3の時点で、以前目にしたこの吊り下げ照明が真っ先に頭に浮かんだ。そうだあれを上から通せば面白い感じになるぞ。測ってみるとアームの長さも丁度いい。

壁板張り工事を終えると早速ブラケットの取り付けに掛かる。
角の柱の出来るだけ高い位置にブラケットをボルト留めするとアームを回し、コードの長さを調整して真鍮のソケットを杉材の間から通し、下から電球を差し込む。
スイッチを捻れば、果たしてイメージ通りに表情が一変。照明って面白い

杉の角材がランプシェードのよう
オークの硬質な木目が映える
時計も良く見えるでよ

ちょこダイな照明(昼)

なんだこれは?

吊り下げたコードが
上から下へ



答え:照明



階段部分に電源が無いため、照明を追加しようとしたらこのような形にせざるを得ない。
とはいえそれが逆に奏功して、二階から中二階部分まで縦に貫通するコードの存在で小さな家にスケール感が出て、ちょこっとダイナミックな面白い趣を出している。

たとえ電気代がかかろうとエジソン球以外の選択肢はないのね

おなじみR不動産toolboxから調達。見れば見るほど、このために誂えられたような一品。
お誂え向きとは正にこのこと



2.18.2015

正解はどっち

小春日和の寒晴れの週末、我が家に久々にS氏とsatosatoのTさんご一家、こちらはお初のLWH001のYさんが見えられて遅い新年会。いや日付的には旧正月※1前の忘年会というべきか、それとも建国祭か※2。ともかく飲みかつ食べる。
お招きしたのはこちらなので勿論手ぶらで構わないのだが、皆様手に手にお土産を携えてやって来る。ビールとかスパークリングワインとか地酒とか。あー有難い実に有難い。
当日の様子はS氏のブログに譲るとして、席上のS氏からは久々のLWH第三号がもうすぐ着工、しかも今度は一家の住まいになるというニュースが発表される。
LWHの元々のコンセプトは「50平米で家族が無理なく生活できる小さな家」であったにもかかわらず第一号第二号と立て続けに野郎のアジト的住居となってしまったことに胸を痛めていたであろうS氏も、第三号にしてようやくコンセプトにぴったり当てはまる施主が現れたことに愁眉を開いたことだろう。折角シリアルナンバーを三桁で取っているのだからこれで製作ペースに弾みをつけて、何とかS氏が現役でいる間に三桁までたどり着きたいところ。えーと四半期に一棟のペースで二十四年後にLWH100か。楽勝楽勝

小屋裏を作ってくれろと泣く子かな

宴席において用意された酒を終了までにきっちり飲みきることはまずないのだが、今回も例に漏れず結構な量が手付かずで残った※3。
手付かずで残った酒はS氏とYさんのビール、Tさんのスパークリングワイン。
このような時にはいつもどうすればよかったのか悩むことになる。いかにも贈り物然としたYさんの手土産は別として、それ以外にいただいた酒は先に開封して供した方が良かったのか。しかしそれではいかにも人の酒を当てにしていたようであつかましくはないか。
だが結果として手土産の酒が開封されることなく手付かずで残ってしまったであれば、ゲストは皆で飲むつもりだったかもしれない酒を、あつくかましくもホストが独り占めしたことになってしまうのでは。
それならいっそお帰りの際にゲストへのお土産として持たせた方がいいのか、しかしそれは貰ったものを突っ返す大変失礼な行為になるのでは。

という感じでいつまで経っても結論が出ない。正解はどれなんだーなんだーなんだー(フェードアウト)


T家R嬢の力作・LWH002のゲート

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※1 今年は2月18日。
※2 今年は建国2675周年。
※3 食べ物は綺麗になくなったというか明らかに量が足りないという大失態、お取り寄せをもう一皿追加しておけばよかったと反省することしきり

2.15.2015

シャビーな壁掛けフック(シックかどうかは知らん)

何やかやと自ら手がける箇所の多い我が家。だが世間にはDIY無関心派を通り越したDIY否定派もいらっしゃって、それらの意見を集約すれば「既製品買うか業者にやらせるかした方がずっと早いし出来もいい。そんな事に時間をかけて節約したつもりになっても時給換算すれば結局損してる。バカの所業」と辛辣な意見をかます積極否定派と、DIYの醸し出す素人臭さ、拙さ、チープさが貧乏臭くて嫌だという消極否定派に大別できる。
前者に対しては半分以上趣味なんだからほっとけ(趣味に生産性を期待するほうが貧乏臭い)と言って終わりだが、後者の意見も言わんとするところは良く分かる。自分にしたところで、地域に一人くらいいる変わり者のおじさんが一から十まで自分で拵えて、壁に変な張り紙がべたべた貼ってあって屋根にマネキン刺さってるみたいな、ゴミ屋敷だか秘宝館だか分からないような怪しい風体のセルフビルドハウスを見ても全く素敵とは思わないし。
それは極端な例としても、出来の悪いDIYは家の雰囲気を壊してしまうので嫌だというのは分かる。であれば出来の悪いDIYでも雰囲気を壊さないような家であればいい訳だ。例えば自分で貼って皺が寄ってしまった壁紙は誰がどう見てもみっともないだけだが、自分で塗ってムラムラになった塗り壁はそれも味と強弁解釈することができる。ツルピカのホテルライクなインテリアにボロっちい工作は場違いなだけだが、初めからシャビーな味のある内装であればボロさが浮き上がる事もない。
ということで、そういうのが好きな人は家を建てる時からそういう作風が得意な建築士さんを選ぶのがいいと思う。人それぞれで得意な作風というものがある。雑誌なんかでよく紹介されていたりする、内装は床も壁も天井も真っ白で研究室か現代美術か2001年宇宙の旅かみたいな家、あんなのはもう素人が手を出しようがないからね※1。


前書きが長くなったが、ということで今年に入って一発目の家作りはシャビーなDIY。風呂から上がっても着替えの置き場もないと文句を言われたことを思い出し、洗面脱衣場にフックを拵えた。
まずはアンティーク屋さんから調達した適当な古材(30年代の米国の家から引っぺがしたもの)に、


これまた30年代の、丁度いいサイズのアンティークのフックを並べてみる。
本来は鎧窓に逆さに取り付けられていた開閉取っ手らしい。どんな家に使われていたのか、狭い間口の都会のアパートメントの窓だったのか、田舎の一軒家の二階あたりの窓だったのかと思いを馳せることが出来るのもアンティークパーツのいいところ。まあ興味ない人には全く興味ないことだろうけど


何か良さげな感じなのでネジ留めする。本当はマイナスねじを使うべきところだが、丁度いいサイズのマイナスねじが売っていないので仕方ない※2。
場違いにギラギラ光るビスの頭には予めアンティークホワイトを塗っておく。

皿ねじを使うなんて野暮なことはしない

あとは壁の裏の間柱にネジ留めしておしまい。さあ思う存分パンツでもシャツでも掛けるがいい。

石膏ボードの裏に隠れた間柱の探知には下地チェッカーが大活躍


所要時間は一時間足らず、コスパ厨もこれなら文句はないだろう。
それどころか、インテリア屋さんでなんちゃってアンティークな壁掛けフックが結構な値段で売られていることを考えればこれは十分売り物になる(確信)。好きな人は好きなんだなこういうの。売らないけど。


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※1 逆にシャビーシックは貧乏臭くて嫌という人(嫌いな人は大抵そう言う)には向いている。そういう人は出来るだけ新品の綺麗な状態を維持することに重きを置くタイプなので、そもそも家の改造には興味を示さないだろうが。
※2 プラスねじの歴史はマイナスねじに比べれば圧倒的に浅く初登場は30年代。今回の組み合わせは年代的にぎりぎりセーフか

2.06.2015

階段ボックス板張り(3) 塗っておしまい

おすぎです。このオーク大好き!塗っておしまい!

ではなくて「塗ってお仕舞い」。

杉とは違い、なまっちろい素の表情のままではどうにも物足りないのがオーク。
そこで着色するのだが、通常のペンキではせっかくの木目を塗りつぶしてしまうので好ましくない。塗料であればステイン系。今回は馴染み深い「匠の塗油」の顔料入りのタイプを使用してみる。
色つきとはいえ塗料として見れば甚だ頼りなく二度三度と塗りこまなくてはなかなか色づかないこの油だが、逆に木目を活かしたいときにはうってつけ。
階段ボックスの外側は白い杉のフレームとの調和を考えて薄めの色を用いることにして、荏胡麻99%の色つき油「匠の塗油 赤錆色」を塗りこんでみる。
結果、


うーむ。
張る前の合板の色に近いせいか…



張る前とあまり印象が変わらないなと。
この色は今一だったか。

今一だったか。なんて大した落胆もないのには理由があって、色が良かろうと悪かろうと、どのみち外面はソファやらなにやらでその殆どが隠れてしまうのは分かっていた(苦労しがいがない場所ではある)。したがって外側は割とどうでもいい。今回の主役は内側。

内側面はこれから追加する照明に間近で照らされる事を考慮してより濃い色を。ここには古材テイストな色合いが特徴の「匠の塗油 久米蔵色」を三度塗り(こちらは色つきでも荏胡麻100%)。
結果、

追加照明はエジソン球
いい感じに木目が浮き上がった。
ここはこの色で正解。そして狙い通り、夜はなかなかいい感じに。
ただのつまらない暗がりが今では家の中のお気に入りスポット。しかし年内に片付いてほっとしたね(年越しの十日前に完了)。