2014年7月25日金曜日

サトサトナイト

S氏主催の「住んでからのオープンハウス」、今回はリフォーム後一年を経過したT家で開催。駅から続く上り坂の先にある住宅街の、更に階段を上がった先にあるのがオーナーTさんが一棟まるごと買い上げてその一角を自宅とした集合住宅。名付けてsato*sato

sato*satoから望む街並み
集合住宅の一階と二階の二世帯分を自宅に使用していたsatosato、小さな部屋が無駄に多く使い勝手が悪かったのをゆったりと広く明るい空間に仕立て直した、というのはS氏の解説通り。
そしてここでも主役は床と壁にふんだんに用いられた杉板。今回見学された三組(九名)の方々にも杉の床はおしなべて好評。安定の人気。
satosatoの床は全面張替えではなく一部はリフォーム前の建材の床板がそのまま残っていたので、冬であれば見学者は更に杉の床の良さを実感できた筈だ。踏み比べれば足裏から伝わる冷たさが違う。

リビング壁には白く塗った杉板
インテリア好きのT夫人のセンスが随所に光る

飴色に使い込まれた10年物のSTOOL60(四本足)にも注目

見学会終了後には初めてお会いする風樂房のらっきょさんご夫婦、施工したみどり建設社長と共にTさんが腕をふるったBBQをご馳走になったのだが、satosato家は擁壁に囲まれ、さらに擁壁の上にも家がないのでどんなに煙を出しても誰からも文句が出ないという、正にBBQにうってつけの絶好のロケーション。住宅密集地の狭小敷地に建つ我が家ではBBQなど望むべくもない事だから、これは強烈に羨ましい。
土地探しや家探しを続けていると往々にして「広さと値段と駅からの距離」だけで手っ取り早く評価する癖がついてしまいがちになるが、周辺環境や立地などをひっくるめて「我が家」であるとしてマクロに評価する事を忘れてはいけない。特に家族持ちや趣味人は。

どんなに騒いでもウルサイと言われない周辺環境は子育てにうってつけ

しかし肉も魚も野菜も、なぜ炭火で焼くとあんなに美味しくなるのか。
そしてTさんはなぜあれほどカエルに色めき立つのか。
謎は解けないまま夜は更けてS氏とsatosatoを辞去したのだが、最後にBBQ会費を納め忘れるという痛恨のエラー。
大変失礼致しましたこの次お会いする時には必ず(私信)


家の内部に設えられたレトロな小窓がお気に入り



2014年7月22日火曜日

2月24日 Wrocław

英語発音ではウロクローとなるヴロツワフ。
かの国の発音で紐解くと、ドイツ語のようにWはV音になるのでWroは「ヴロ」、母音を伴わないcは「ツ」、その次はlでなくてł、Lに斜線が重なると発音がWに変化するのでłaで「ワ」、語末のwはVが無声子音化して「フ」。
書き文字と発音のギャップに初めは戸惑うがルールを覚えればクイズのようなもので、各国でカスタマイズされたアルファベットを学ぶのもこれまた面白い。

そのヴロロツワフはドイツ東部のベルリンとポーランド南部のクラクフの間を結ぶ直線の丁度中間ほどに位置し、両都市からはそれぞれ特急で五時間程度。ポーランドの中では屈指の大都市だが観光人気はいまいち、しかもシーズンオフ真っ最中とくれば観光客らしい姿もあまり見かけない。中国人を除き。

(どこにいっても中国人の観光客は見かける。かつてはこれが日本人だったものだが、今や観光業界にとっても最も太い客は中国人。チャイナマネーは偉大なり。そりゃあ天下のバーバリーも商品タグの記載に日本語じゃなくて中国語を選ぶよな)


ベルリン発クラクフ行の特急で途中下車
ヴロツワフ駅窓口
言語事情。欧州は一般に北に行くほど英語が通じやすく、南や東に行くほど通じにくくなる。ベルリーナーはほぼネイティブレベルで英語を話すので拙い中学英語でもコミュニケーションを取るのに問題はなかったが、この国で英語は若者にはほぼ通じるものの中年以降にはかなり怪しく、年寄りには明らかにあまり通じない。
年寄りに話が通じなくても別にいいか。と思いきや、駅窓口に配置されているのがことごとくババア 年配の女性であるのが大いに問題で、旅行者が最も正確にコミュニケーションを取らなければいけない相手が英語をほぼ解しない※1という訳の分からない人員配置がこの国の全土に展開されている。観光立国を目指すのであれば、ポーランド鉄道は今すぐ窓口のババアども 老婦人たちを英会話スクールに通わせるべし。



共産主義時代に建てられたいい味のビル

旧市街広場に面して建つのは13世紀に建てられたという典型的なゴシック様式の市庁舎、完成後改修と増築を繰り返して現在の姿に。ゴテゴテの装飾はカブトムシの脚のよう




第二次大戦における最大の激戦である独ソ戦の主な舞台はポーランド。多くの街は廃墟と化し、歴史的建造物もことごとく失われた。現在我々が目にする事が出来る旧市街の街並みは、戦後この国が膨大なコストと人員を投入して復元したもの。歴史的建築物で再建も補修もされていないものはほぼないといっていい。
昔から大都市であったここヴロツワフでも例に漏れず大規模な戦闘が繰り広げられ、旧市街地の殆どは灰燼に帰した。修復跡は市庁舎にも生々しく残っている



いい感じにボロい共産主義時代のアパート

 夕暮れの川沿いの遊歩道の向こう、オストルフ・トゥムスキ地域に浮かび上がるドイツ様式の尖塔は洗礼者ヨハネ大聖堂。てくてく歩いて近寄るといい感じの場所にマリア像。
通りすがりの地元JKにクスクス笑われながらあーでもないこーでもないと三脚を構えた甲斐あって、この旅のベストショット撮影に成功。これを撮れただけでこの街に来た甲斐があったというもの

16世紀に建てられた歴史ある尖塔も
実は1991年に再建されたもの


洗礼者ヨハネ大聖堂の手前、オストルフ・トゥムスキに渡る橋の欄干には無数の鍵が。この橋は愛の橋とよばれ、永遠の愛を誓うカップルがここに訪れては鍵を掛けていくのだという。
…うーん書いててムズムズするぞ。日本にもよくあるよなこういうの。どこの国でもさかりのついたリア充カップルの考える事は大差ないというかなんというか、まー要するにこんなもん取り外して溶解してレールの一本でも作った方がいいんじゃねえの?(鼻ほじりながら)



朝靄のヴロツワフ駅 次の目的地はクラクフ


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※1 窓口で英語が通じないのは日本も同レベル、しかし何とか相手の言う事を理解しようと最大限努力する日本人と違い、その他の国では言葉が通じない相手に対してはあっさりとコミュニケーションを諦めてしまうのが通常。日本人のサービス精神は本当に素晴らしいと実感するのはこういう時。

2014年7月13日日曜日

2月22日 Berlin

ベルリン空港まではモスクワ乗り換え。アエロフロートを使うのは実に10年ぶり。乗り換えで立ち寄ったシェレメチェヴォ空港にはターミナルDという新しい国際線ターミナルビルが出来ていて、ソ連時代の陰鬱さを引きずっていた以前のシェレメチェヴォ2(ドゥヴァ)ターミナルとのギャップにびっくり。この明るさと清潔さとアメニティは完全に西側先進国レベル。職員の対応まで良くなっていて、初めて訪れた頃のソ連色が未だ残るおそロシアなシェレメチェヴォ空港からは隔世の感がある。

おそロシアな雰囲気は完全に払拭された新ターミナルD。やれば出来るじゃないか
2003年 薄暗く殺風景な旧ドゥヴァターミナル、中国人がそこら辺で新聞紙敷いて寝ている
1997年。ソ連崩壊から6年、一番派手な免税店ストリートでいまだこの有様。なぜこんなに暗い。おそロシア

初めてのベルリンの滞在日数は二日。欧州屈指の大都市を堪能するのにはとても足りず、今回は専ら旧東ベルリン中心街をうろうろするに留まる。
宿の最寄りのハッケシャーマルクト駅はJR新橋駅を設計したドイツ人技師がお手本にしたとかで、確かにレンガ造りのアーチなど特徴がよく似ている。ただし新橋駅前に展開するおやじパラダイスはここにはない。あれはジャパンオリジナル




ベルリン中央を流れるシュプレー川には五つの博物館・美術館が集合した博物館島と呼ばれる中洲島がある。これだけでもじっくり見るなら二日はかかるところ、何せ時間がないものでこれらの見物は全部スルーし、隣接するホーエンツォレルン家ゆかりの大聖堂に入ると、270段の階段を上った先にある物見台からベルリン市街を一望する。博物館島周辺は工事工事工事アンド工事


ブロンズの天使像のあたりが物見台、高さ約110m




駆け足の二日間で唯一入った博物館が川を挟んで大聖堂と向かい合うDDR博物館。その名の通りDDR(ドイツ民主共和国)体制下の東ベルリンの様子を記録展示してあるミニ博物館で、東独時代の一般家庭のリビングとキッチンを再現した部屋などなかなかに興味深い。東独の雇用は完全に男女平等で、育児支援も国を挙げて行っていたそうな。21世紀の日本より余程進んでいる

川岸地下にあるDDR博物館
東ベルリン一般家庭の可愛らしいリビング。TVからは当時のニュース映像が流れている
あら可愛いキッチン
統一後急ピッチで再開発を進めたのであろう、旧東ベルリンでは東独時代を感じさせる建築物は殆ど目にする事はなかった。この後訪れたワルシャワあたりだと未だ共産主義時代の街並みが残っていたりするのだが、有り体に言えば経済大国と貧乏国との差だろう

夜になって訪れたホロコースト記念碑は異様な空間で、だだっ広い丘にコンクリートの巨大な立方体が無数に並べられている。安藤忠雄か。その異様さもさることながら、最も有名な観光名所であるブランデンブルク門から歩いて数分というロケーションにも驚く。最高の見せ場のすぐ隣に最大のタブーの痕跡を置かざるを得ない、それほどに大きな罪なのだという事は数日後に訪れた強制収容所で実感する事となる


ヒトラーが最期を迎えた総統地下壕跡は何の変哲もない駐車場。説明パネルがなければやり過ごしてしまう


2014年7月10日木曜日

sustainability

家とは何かを考えさせられる話題

安藤忠雄の建物を好きか嫌いかで言えば好きだ。街並みの秩序を無視し、周囲との調和などはなから放棄し、利用者の動線や住みやすさなど一切考慮していないかのような傍若無人なコンクリートの箱。それと引き換えに得られるクリーンな佇まいとマスとしての美しさ。強烈な個性。建築士というより建築家、アーキテクトというよりはアーティスト。安藤の建物は妥協のないアーティストの作品としては好ましく思う。

だが、その作る家に住みたいかというと話は別。
通りすがりの鑑賞者ではなく土着する住人として家に求めるものは何よりサステイナビリティ、自らの手でしっかり管理維持していける実用性であり、外連見に溢れた非日常的な美しさではなく家としての基本性能を満たした上での機能美。カッコいいねーでもどうやって窓拭きすればいいのとか打ちっぱなしはまめにコーティングしなけりゃいけないから手がかかって大変とか冷暖房費で家計傾くんじゃないのとか、そんな事がまず気になってしまう自分は彼の家に住むには軟弱すぎるのだ。